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インテリア・デザインの関係に進みたいと思ったのは、高校2年の時。美術大学受験のための専門学校に毎日通い、地元の静岡から武蔵野美術大学に進んだ。卒業後は、商業店舗のデザインや施工を手がける会社と、一級建築士のオフィスで1年ずつ働いた。
「バブル全盛の頃でしたから、乱立する店舗のデザインに追われ、余暇を楽しむ時間がまったくありませんでした。忙しすぎて倒れ、そのまま1か月、自宅療養になってしまったことも。でも普通は男性の世界と言われる現場や実務の仕事を私もやらせてもらえたの。貴重な経験でした」
「こんなペースの日本にはいられない」と出国を決めたのは、24歳の時だ。「当時、インドネシア人の彼がいたので、インドネシアへ。でもそこでずいぶんお金を使っちゃったし、観光ビザでは2か月しか滞在できないんです。そこで、インドネシアに近いオーストラリアで、1年間ワーホリで働きながら生活しようかなって。実は日本からビザも用意して行ったの」
当時、ワーキング・ホリデー・ビザの年齢の上限は25歳。英語圏での生活に挑戦する最後のチャンスとも思ったそう。しかし「大学受験以来、たいして使うことがなかった」という英語力に加え、オーストラリア入国時の所持金はなんとたったの500ドル。まさにオーストラリアに丸腰状態で転がり込んできた格好だ。 |
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まずは一泊10ドルのドミトリーに寝る場所を確保しながら職探し。英語力も生活資金も十分にない中でも、マリコさんは「ジャパレスでは死んでも働かない」と心に決めていた。ジャパニーズ・レストランで働けば、そこそこの英語力で通用し、とりあえずのお金も手に入る。しかし、それでは英語圏に来た意味がない、というのがマリコさんの考えだった。
「フィリピン人女性がオーナーをするホテル内のキオスク(土産物なども取り扱う雑貨店)で面接を受けました。たまたま少し前に聞いた英語の1フレーズを、そのオーナーの前で披露することができて運よく合格(笑)。週たった100ドル(!)の支払いでしたが、オーナーの家に住み込みだったので、私には好都合でした」
英語を使う生活に慣れてきたところで、日本でのキャリアを活かした仕事を探すようになる。日本人経営の内装会社へと徐々にシフト。キオスクの仕事を完全に辞め、内装会社でフルタイムの勤務をするようになってからは、収入も5倍に。安価のプライベート・ホテルを定宿に、図面や見積もりの経験を重ねていった。しかし……。
「この会社の経営が傾いてね。給料の小切手はもらっても、銀行に出せば不渡りになることが分かっていました。切迫していたので、300ドルの価値にも思えた持ち金10ドルを、清水の舞台から飛び降りるつもりで競馬に賭けたんですけど、負けました(笑)。友人にも親にも泣き言は言えない。そんな時、クライアントから支払いの手続きがあったことを知ったの。それで、すぐに銀行へ行って『これから必ず入金があるはずなので、私の小切手で口座を作ってほしい』と頼んだんです。聞き入れてもらえるか、ひやひやしましたが、何とか無事に受け取りに成功。あれを経験したおかげで、フリーランスになった今でも、ピンチを顔に出さずに切り抜けられる術が身に付いたと思います(笑)」 |
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友人たちとのクリスマス・パーティで(中央) |
経済基盤を保証する銀行残高を移民局に示し、残り6カ月分のビザの延長を果たした*1)マリコさんは、日本へ帰ろうと思っていたこともあり、上司や取引先に会社を辞める旨を伝えた。
「すると、取引先のひとつから、ビジネス・ビザをスポンサーするから働いてくれと言われたんです。厨房機具を売る会社でした。そこで私が求められたのは、その厨房器具の機能的、効果的な使い方を考えた上でのレイアウト図面を書く仕事だったんです。仕事は進んでやりました。見積もりや納品の仕方も現場でのさばき方も、頼んで教えてもらいました。初めの数か月は、 朝9時から夕方5時までフルタイムで会社勤務、そのあと6時から夜10時までは、実際の使い勝手を覚えるために、レストランの厨房で働きました」
収入は安定していた。実務に加え、実践的な英語もぐんぐん身に付いた。ビザのサポート期限である4年を勤続。しかし、そこでハタと立ち止まる。30歳目前でもあった。「このまま厨房の設計を続けるだけでいいのか?」。93年には念願の永住ビザを手にしていたマリコさんは、オーストラリアで働き続けることの意味を考えるようになる。 |
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キッチン・デザイナーから
インテリア・デザイナーへ |
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「もともとの希望だったインテリア・デザイナーになろう!と思って仕事を探しました。仕事の機能性と予算とをにらめっこしながら作る厨房のデザインから、あともう一歩進みたかったんですね。でも当時は景気がパッとしていなくて、誰も雇ってくれない。だから、自分で会社を作るしかなかったんです。正直こわかった。ただ、もとの会社で培ったつながりをとても大事に思っていました。ちょうどその時、厨房設計と納品の依頼を以前の会社からのクライアントにいただいたので、レストランのインテリア・デザインも安くするから両方やらせてほしいと頼んだんです」
請け負ったのは、収容約200人の大掛かりなレストラン。観光客も多く訪れるという一等地に店を構えるこのレストランの全体設計という機会を得たマリコさんは、同時にインテリア・デザイナーとしての彼女の作品を大舞台でプレゼンテーションできたと言っても過言ではない。シドニー日本国総領事邸や、彼女の名前を聞きつけたレストランから、インテリア・デザインの仕事が次第に入るようになった。 |
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マリコさんがデザインした日本食レストランの内装 |
2001年、忙しく充実していたマリコさんの仕事がひと区切りついた。折しもニューヨークで同時多発テロが起き、海外へのフライトチケットがずいぶんと安く出回っていた時期。マリコさんは2か月の世界一周旅行を敢行した。そこで待っていたのは、キューバ人男性との電撃的な出会いだった。
「5週間キューバに滞在して、結婚しようという話になりました。それで、私の永住ビザで彼のオーストラリア移住をスポンサーしようと思ったんですけれど、キューバにオーストラリア大使館はなく、必要な書類を揃えるにもアメリカ経由になるなどいちいち時間がかかって、手続きがとてもたいへんなことが分かって。オーストラリアへの観光ビザですら、キューバのように経済的に後れを取っている国では取得が難しいんです」
オーストラリアの移民局に掛け合う間に、マリコさんの妊娠が発覚。キューバに飛んで結婚式を挙げ、再び独りでオーストラリアに戻り、長女の出産をパートナーなしで経験した。
「2004年にようやく永住ビザの許可が下り、当時2歳になろうとしていた娘と一緒にキューバに向かいました。でも今度はキューバから彼に対して出国許可が下りず、結局は時間切れで頓挫。彼を呼び寄せることは叶わず、娘は父親である彼と、あれ以来一度も会っていません。キューバがもっと近くの国だったら行きやすいんですが……」 |
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キューバで挙げた結婚式 |
オーストラリアには、働く女性の産後の職場復帰を保証する体制が比較的整っていると言われる。パートナーが子育てに協力的であるという声も多い。しかし、マリコさんの場合は、会社に属しているわけでもなく、パートナーは遠く離れてしまっていた。この状況をどう乗り切ったのか。
「身ひとつで稼いで暮らしているわけです。産休なんかのんびりと取っていられない。パソコンのキーボードと並行に、赤ん坊だった娘をゴロンと寝かせて、Eメールのやり取りをしながらおっぱいをやっていたことも、図面を壁に貼って、添い寝しながら練り上げたこともあります。それでも、私に仕事を頼みたいと依頼をいただけることは幸せでしたし、引き受けたからには責任を持って全うしようという気持ちでやってきました。周囲も概ね子育てに対して協力してくれました。ミーティング中におっぱいをあげてもいいとか、仕事の現場に子供を連れてきてもいいと言ってもらえたりするのは、とてもありがたかった」
オーストラリアで15歳未満の子供を養育する一人親の割合は、全家族の20%に上る*2)。働き、子供を独りで育てる親への対応については、社会全体が寛容と言えるのかもしれない。現在、キューバのパートナーとは事実上別離し、年に数回のEメールのやり取りがある程度という。
「娘はようやく小学校に上がり、私自身の時間が確保できつつあります。学校から娘が帰ってきてからは仕事の能率が3割程度にまでぐっと落ち込んでしまうのは事実。でも6歳という年齢を考えると、この時期のコミュニケーションはとても大切だと思うんです」
本来は、オフィスは自宅とは別々にして、プライベートな時間を確保したいと言うマリコさん。しかし「今は娘の世話をしている間に仕事もできるので、自宅兼オフィスの環境に感謝している」そう。リビング・ダイニングのキッチンの横には、独創の収納空間がある。「料理をしながら、二人分の着替えから自分のメイクアップまで、すべてをそこでできる」まさに機能的なキッチンだ。母としての両立に思いを込めた秀作とも言える自宅兼オフィスで、インテリア・デザイナー、宮城島マリコの仕事が続く。 |
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踊るのが大好きというのは、この表情からもうかがえる。娘さんも参加したタンゴ・パーティで |
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| 7:00 |
起床
子供を起こし、弁当作りや学校への支度など |
| 8:30 |
子供をスクール・バス停に送る
「バス停までは徒歩でほんの数分。家の前はビーチなので、そのままビーチ・ウォークへ出かけます。それからゆっくり朝食を摂るなど」マリコさん談 |
| 9:30 |
仕事のEメールのチェックなど
在宅時は、クライアントや設計アシスタントとのやり取りや図面チェックなど、ほとんどEメールで行う
外出時は、役所で必要書類の届出や、クライアントやビルダーとのミーティング、照明などの建築中の現場内装のチェックなどに出かける |
| 15:15頃 |
子供が帰宅。
以降、おやつや宿題など、子供の世話が中心
「Eメールでのやり取りが多くなりますね。ただ、娘を連れていってもいい、たとえばショールームの下見などには連れだって出かけます。 基本的に仕事に関する電話連絡は、娘の帰宅前までにできるだけ済ませてしまうようにしています」マリコさん談 |
| 21:30 |
就寝
「ダブルベッドで本読みをしてやりながら、娘と一緒に寝てしまいます。娘より先に寝てしまうことも……(笑)」マリコさん談 |
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| 昼前 |
起床
「娘を土曜学校(日本語を教える学校)へ連れて行く時は早起きしますが、ときどき金曜日の夜に、知り合いの家に預けて、そこから学校へ送ってもらうようにしているんです。そんな時は、ビーチ・ウォークをしたり、カフェなどでゆっくりと時間を過ごしたりと、自分の時間を楽しみます」マリコさん談 |
| 午後 |
家事がたまっていたらまとめてやる
あるいは、家の前のビーチで遊ぶ、子連れで友人宅のパーティなどに参加など |
| 夜 |
外出
「娘を預けられる場合は、深夜まで踊る、つまりタンゴ・パーティなど!(笑) 娘と一緒の場合は、平日と同じように21:30には一緒に寝ます。もっと踊れたら……。」マリコさん談 |
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| 何かを目指す時、その道のスペシャリストでいようとするのはもちろん重要なんですが、同じ分野、あるいは関連性のある分野で、もうひとつ、なにか追随する得意なものを持っておくと、ほかの人よりも仕事を受けるチャンスが増えるのでは。それから、漠然と進むのではなく、「偶然」に見えるような小さなことも「必然」と捉え、自分のやりたいことに活かす気持でいれば、きっと道は開けてくると思います。 |
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