ジュディ 虹の彼方に

2020-01-24
(C) Pathé Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019

スポットライトの中、愛を求めて――47歳で散った伝説のミュージカル女優ジュディ・ガーランド、感動と慟哭の実話

かつてはミュージカル映画の大スターとしてハリウッドに君臨していたジュディ・ガーランドが、窮地に立たされていた。1968年、度重なる遅刻や無断欠勤のせいで映画出演のオファーも途絶え、今では巡業ショーで生計を立てているのだが、住む家もなく借金は膨らむばかり。まだ幼い娘と息子をやむなく元夫に預けたジュディは、ロンドンのクラブに出演するために独り旅立つ。英国での人気は今も健在だったが、いざ初日を迎えると、プレッシャーから「歌えない」と逃げ出そうとするジュディ。だが、一歩ステージに上がると、たちまちディーバと化して観客を魅了する。ショーは大盛況でメディアの評判も上々で、新しい恋とも巡り会い、明るい未来に心躍るジュディ。だが、子供たちの心が離れていく恐れと疲労から睡眠薬とアルコールに走り、ついには舞台でも失態を犯してしまう──。

ジュディ・ガーランドを演じるのは、「ブリジット・ジョーンズの日記」シリーズで女性からの絶大な支持を受け、『コールド マウンテン』(03)でアカデミー賞助演女優賞を受賞したレネー・ゼルウィガー。本作は3年ぶりの主演作となる。レネーはこれまで、世界の映画賞では本受賞を含め、58ノミネート・16受賞を記録。去る第77回ゴールデン・グローブ賞では、『シカゴ』以来17年ぶりに主演女優賞【ドラマ部門】を見事受賞。2月10日(月)に発表される第92回アカデミー賞では主演女優賞にノミネートされている。

3月6日(金)全国ロードショー!
公式サイト

キャスト

レネー・ゼルウィガー、フィン・ウィットロック、ルーファス・シーウェル、ジェシー・バックリー、マイケル・ガンボン ほか

スタッフ

監督:ルパート・グールド
脚本:トム・エッジ
原作:舞台「End Of The Rainbow」ピーター・キルター
原題:「JUDY」
配給:ギャガ

レビュー

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ハリウッドの禊ぎ映画 今、語られるべき人物

評価: ★★★★★ (5点) 投稿者:Shiron!2020-02-28

主演女優賞も納得! 聴く者の心を揺さぶる圧巻のステージ。 魂の歌に涙が止まりませんでした。 なぜこんなにも歌姫には不幸が似合うのか。 マリア・カラスにしても、エディット・ピアフにしても、美空ひばりにしても。 何千人もの愛を一身に受けながら、一つの愛が得られないなんて、まるで悪魔と取引したとしか思えない。 愛する喜び、失う悲しみ。 皮肉にも、彼女の人生そのものが魂の叫びとなって、更に彼女の歌を研ぎ澄ましていき、聴く者を熱狂させる。 昔から実在のアーティストの生涯を描く映画には秀作が多いですが、最近の『ボヘミアン・ラプソディ』『ロケットマン』も素晴らしかった。 それぞれ語られるテーマは違いますが、みんな愛を渇望し、孤独感に苛まれている。 彼らを苦しめるショウビズ界の落とし穴はあまりにも似ていて、もはや愛をくれる理解者が現れるとフラグにしか思えない程ですww でも、その中で『ジュディ』と他の2作との違いは、子供の頃に悪魔に出会ってしまったところ。 国道の十字路ではなく、児童虐待がはびこる黄色のレンガ道で。 アカデミー賞前夜祭イベントに参加したのですが、有村昆さん、伊藤さとりさん、藤井ペイジさんから貴重なお話が聞けて感動しました。 ジュディ・ガーランドは、ハリウッドが見つけ、ハリウッドが育て、ハリウッドが殺した才能。 公式サイトにも書かれてあるように、ドラッグやハラスメントにまみれた古いハリウッドの犠牲者に他ならない。 『スタア誕生』の演技にオスカーを渡さなかったハリウッドが、彼女の魂を蘇らせたレネー・ゼルウィガーにオスカーを渡す事で天国のジュディの才能を認めて名誉を挽回し、自らも罪を認めて新しいハリウッドに生まれ変わる誓いを立てた。 LGBTパレードのレインボーフラッグもジュディに関連していたと知り、まさに今の時代に語られるべき人物、観るべき映画だと感じました。 そんな期待値MAXで鑑賞したにも関わらず、期待を超える感動でした!! ジュディが乗り移ったかのようなレネーの演技には説得力があり、普通の幸せを求めつつも現実世界には居場所が無く、ステージ上でしか生きられない女優の性が圧巻でした。 何もかも無くし、身も心もボロボロになっても、体がステップを覚えているところが哀れでなりません。 スポットライトを浴びている時にだけ観客から注がれる愛。 そのひとときだけでもジュディは愛で満たされていたと思いたい。