レビュー
私の手握ってくれてありがとう
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飛び降り自殺寸前で坂本龍也の「声かけ」に助けられ、生き永らえた野宮透に対して、死を恐れる素振りすら見せていなかった伊藤凪。何時死を迎えるか分からない身体にも拘らず。 恐怖と葛藤は並大抵のものではなかったはず。それをどう乗り越えたかわかりません。但し、詩「K」を執筆した時に「既に乗り越えていた」ことだけは確か。 「人を好きになる 愛し合う(詩『K』より引用)」それをひたすら待っていた。 「毎日に夢中だから 息していることさえ忘れ(詩『K』より引用)」るために。 自らを死んだことにして。 「詩を書けなくなった(伊藤凪セリフ)」のは、想いを全て吐露してしまったからだと思います。公式「K=・・・」を思いついたのも多分このころ。未だ出会っていない「愛し合う(詩『K』より引用)」人に思いを寄せながら。そして伊藤凪の時間は止まった。「胸がザワザワした(伊藤凪セリフ)」のはそのためだと思います。 そして遂に出逢った野宮透。伊藤凪はずっと野宮透を観ていた。野宮透が初めて病院を訪れたその日から。野宮透に出逢ってから「胸がザワザワしなくなった(伊藤凪セリフ)」伊藤凪の中で、止まった時間が再び動き出した。 ようやく動き出した伊藤凪の時間。しかし、聳え立つ「壁」は複数に及び加えて高い。 1つ目の「壁」は時間。自らは投薬により生き永らえる伊藤凪に対して、野宮透の余命は限られている(坂本龍也にセットされたタイマーの如く)。 2つ目の「壁」は伊藤凪の両親。親権もさることながら、「1日でも長く生きて欲しい」両親(特に、母親伊藤佐和)の愛情も、野宮透との「距離(i ? y)」を広げる「壁」となって立ち塞がる。 その全てを越え、野宮透の腕の中で逝った伊藤凪。この上ない「遺言」を残して。「伊藤凪が詩を書いたら坂本龍也が曲を作る(坂本龍也セリフ)」。この約束を守ることを伊藤凪は確信していた。自らが三角関係の頂点に位置することを自覚していたから。 思い残すことは何もなかったと思います。伊藤凪セリフ「私の手握ってくれてありがとう」が、それを物語っています。
瞬間、瞬間を大切に生きる
これまで人を好きになることなく社会人になってしまったトオル(横浜流星)の運命の出会いを描く Greeeenが、自らの実話エピソードを元に書き下ろした脚本を映画化した作品 歯医者さんである彼ららしい「生きることの大切さ」を描いている その脚本には、確かに初々しさも感じるし、どストレートに描いているだけあって、先の展開が手に取るように分かってしまうところもあった しかし、その中で、私が良いなぁと思ったのは「今、この瞬間を大切に生きる」ということ 何があっても、下を向かず、前を向くということ ただ、なんとなく、日々を生きていると見過ごしてしまいそうなことも、瞬間、瞬間を大切に生きていると、その「何でもないこと」の大切さに気付かされる 人生は、そんなキラキラした瞬間の積み重ねなのだ ちょいちょい突っ込みたくたる場面はあったものの、そんな前向きな考え方は良いなぁと思った そして、主人公トオルが、運命的に出会う少女・凪を清原伽耶が演じているのだけど、彼女がとても良かった その凪は、日々、詩を書いて過ごしている 「詩を書く」という行為は、とても気恥ずかしいものだけれど、この映画の凪を観ていると「詩を書くって良いなぁ」と思えてしまうから不思議 詩を書くということは、人の感性を豊かにして、小さな幸せに気付くということだと思う 後半は、会場のあちこちからすすり泣きが聞こえてきた本作 (私は1mm も泣けなかったけれど…) とてつもなくピュアな作品を観たいと思っている人にオススメ