Fukushima 50 (フクシマフィフティ)

2020-01-27
(C) 2020『Fukushima 50』製作委員会

2011年3月11日東日本大震災発生。そして福島第一原発事故。
原発内に残り戦い続けた50人の作業員たちの知られざる物語

2011年3月11日午後2時46分。
マグニチュード9.0、最大深度7という日本の観測史上最大の東日本大震災が発生した。
太平洋から到達した想定外の大津波は福島第一原発(イチエフ)を襲う。内部に残り戦い続けたのは地元出身の作業員たち。外部と遮断されたイチエフ内では制御不能となった原発の暴走を止めるため、いまだ人類が経験したことのない世界初となる作戦が準備されていた。それは人の手でやるしかない命がけの作業。同じころ、官邸内では東日本壊滅のシミュレーションが行われていた。福島第一原発を放棄した場合、被害範囲は東京を含む半径250km。避難対象人口は約5,000万人。それは東日本壊滅を意味していた。
避難所に残した家族を想いながら、作業員たちは戦いへと突き進む―

原作は、ジャーナリスト門田隆将のノンフィクション作品「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」(角川文庫刊)。
主役となる福島第一原発1・2号機当直長・伊崎利夫役に佐藤浩市、福島第一原発所長、吉田昌郎役に渡辺謙。さらには吉岡秀隆、緒形直人、火野正平、平田満、萩原聖人、吉岡里帆、斎藤工、富田靖子、佐野史郎、そして安田成美ら、豪華実力派キャストが結集。
監督は『沈まぬ太陽』『空母いぶき』の若松節朗、脚本はNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の前川洋一、音楽は『日本沈没』『レッドクリフ』シリーズの岩代太郎が担当する。

2020年3月6日(金) 全国ロードショー
公式サイト

キャスト

佐藤浩市  渡辺謙 吉岡秀隆 緒形直人 火野正平 平田満 萩原聖人 堀部圭亮 小倉久寛 和田正人 石井正則 三浦誠己 堀井新太 金井勇太 増田修一朗 須田邦裕 皆川猿時 前川泰之 Daniel Kahl 小野了 金山一彦 天野義久 金田明夫 小市慢太郎 伊藤正之 阿南健治 中村ゆり 田口トモロヲ 篠井英介 ダンカン 泉谷しげる 津嘉山正種 段田安則 吉岡里帆 斎藤工 富田靖子 佐野史郎 安田成美

スタッフ

監督:若松節朗
脚本:前川洋一
音楽:岩代太郎
原作:「死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発」門田隆将(角川文庫刊)
製作:KADOKAWA
配給:松竹、KADOKAWA

レビュー

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オリンピック前に見るべき映画

評価: ★★★★★ (5点) 投稿者:Shiron!2020-02-19

「こんなにも、忘れてしまっていたのか…」と自分自身にショックを受けました。 東電の禊ぎ映画では御座いません。 政府を非難したり、現場をヒーロー視するだけの映画でもなく、自然の脅威を前にして私たちが学ばなければいけない事は山ほどある…決して風化させてはいけない記憶だと思わせてくれる映画でした。 上映中に「こんなの捏造だ!」と叫んで席を立たれた方がいましたが、 そりゃ〜映画だから、フィクションな部分もあるだろうし、わかりやすい演出もあるだろうから、捏造と思われるのも仕方ないけれど、出来れば最後まで見ていただきたかった。 たとえドキュメンタリーだとしても、誰かが作り上げたものには、必ず作り手の意図が入るものだし、むしろ私達はその作り手の視線を見つめているのではないだろうか? 100人の監督がいたら、100通りの『Fukushima50』が出来るだろうし、1000人の観客がいたら1000通りの解釈があるだろう。 そして更に、それぞれの解釈には賛成や反対が生まれ…そうやってこの出来事を風化させない為に、勇気を持って作られた映画だと感じました。 現場の状況がわからないなか、防護服を着てボンベを背負った作業の恐怖。 最善を尽くそうと懸命な人々の姿。 当時のニュースで結果を知っているにもかかわらず「どうか成功して!」「どうか爆発しないで!」と祈っていました。 東電の職員なんだから、何とかするのは当たり前だと思っていたけれど、もし職場放棄していたら、日本は早い段階で壊滅していた。 どこがどうなって、現場は何をしていたのか?を知ることが出来て良かった。 そして本当に恐ろしいと感じたのは、人の手によって暴走を食い止めたのではなかったという事実。自然を前にしては運を天に任せるしかない。 そんなギリギリな現場をよそに、政府のアピールや本社の対応には正直イライラしますが、良くも悪くも、それぞれの立場で最善と判断した“結果”がここにある。 何が間違っていたのか?どこに責任があるのか? 罪を着せるのは簡単だけれども、責めるだけでは何も変わらない。 電力を消費している立場の自分自身も含めて、自然をコントロールした気になっていたおごりを捨てて、真摯に結果と向き合って変わるべき。だった。 未来に向かって、企業の体質や行政の対応を見直すべき。だったのだ…。 そうでなければ、犠牲になった方々や被災された方々に合わす顔がないし、あまりにも大きな代償を払った意味がない。 でも今、実際に良い方向に変わっているのだろうか?? そして、それは個人的にも。 ファーストシーンからあの日が蘇ってきて、とても怖かったです。 私は震源地から遠く離れてはいましたが、帰宅困難者として歩き続けた寒さや、家族と連絡が取れなかった心細さ。 ニュース映像の衝撃に、思考と心が停止したこと。 計画停電で、電気の有り難さと電気への依存を感じたこと。 その当時は、第二第三の避難場所へのルート確認や、普段の持ち物にも気を配っていたのに…災害用伝言ダイヤルの番号すら忘れている自分に愕然としました。 喉元過ぎれば熱さ忘れる。電気も普通に使っているし。 “あの日の事は忘れていない”と思っていたけど、実際はいろんな事を忘れてしまっていると気づかせてくれました。