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『ヒトラーのための虐殺会議』史上最悪な会議がいま始まる…本編映像解禁!マッティ・ゲショネック監督よりメッセージも

ヒトラーのための虐殺会議

1,100万ものユダヤ人絶滅政策を決定したヴァンゼー会議。その史上最悪な会議の全貌に迫る映画『ヒトラーのための虐殺会議』(1月20日(金)公開)の本編映像が解禁され、マッティ・ゲショネック監督からメッセージも到着した。

1942年1月20日正午、ドイツ・ベルリンのヴァンゼー湖畔にある大邸宅にて、ナチス親衛隊と各事務次官が国家保安本部長官のラインハルト・ハイドリヒに招かれ、高官15名と秘書1名による会議が開かれた。議題は「ユダヤ人問題の最終的解決」について。「最終的解決」はヨーロッパにおける1,100万ものユダヤ人を計画的に駆除する、つまり抹殺することを意味するコード名。移送、強制収容と労働、計画的殺害など様々な方策を誰一人として異論を唱えることなく議決。その時間は、たったの90分…。

すべてのドイツ占領下および同盟国から東ヨーロッパの絶滅収容所へのユダヤ人強制送還の始まりとなった“ヴァンゼー会議”の全貌に迫る本作は、出席者のアドルフ・アイヒマンによって記録された会議の議事録に基づき、80年後の2022年にドイツで製作された。

今回解禁となった本編映像は、大邸宅の豪華な一室に集められた出席者が各自の席についたところで、ラインハルト・ハイドリヒが親衛隊中将のハインリヒ・ミュラーとともに部屋に颯爽と入ってくる場面から始まる。

出席者の表情からは緊張した様子が感じ取られるが、ハイドリヒは開口一番「大管区指導者、次官の皆様、親衛隊諸君、ご参加いただき嬉しく思います」と御礼の言葉を述べ、「皆様を電話などの対応から解放すべく、仕事場から“誘拐”しました。なお、皆様の省庁が当館をご利用になる場合1泊あたり…アイヒマン いくらだ?」「5ライヒスマルクです」「この安さ!」と軽妙な語り口で冗談を言い、出席者からは笑いも起こる。

場が和んだところでハイドリヒは、「招待状に添えた書類をご覧ください。ゲーリング国家元帥が書かれたものです」と切り出し、「国家元帥のご依頼を引用します」と前置きしたうえで「“組織面 実務面 物質面で必要な準備をすべて行い、欧州のユダヤ人問題を総合的に解決せよ。関係中央機関を参加させ、協力して立案し検討するように”と」そして「そのための会議です」と強調し、着席する。そしてアイヒマンが秘書に「1部を議事録に」と指示。この議事録は、のちに1部のみが残されたホロコーストに関する重要文書となっていく。

書類にあるゲーリングの文章を指でなぞって確認するまじめな者もいれば、発言者をじっと見つめる者もいる様子は、我々も良く知るビジネス会議のよう。そんな中、国家元帥であるゲーリングの言葉を朗々と引用して会議の目的や力関係を明確にするハイドリヒの姿が怖さを感じさせ、独特な緊張感が漂う。史上最悪な会議がまさに始まる瞬間を映し出すシーンとなっている。

また、マッティ・ゲショネック監督は本作の日本公開に向け「今この映画が日本で上映されることは非常に重要なことだと思います。ご存知の通り、1940年にドイツと日本、イタリアの間で日独伊三国同盟も結ばれています。この映画では、産業的な大量殺戮の経緯を冷静かつ客観的に描いています。これがジェノサイドの事実なのです!かつてあった現在であり、少し前に起きた出来事であり、それがかつての今日だったことを私たちは知るべきなのです!」とメッセージを寄せている。

80年の時を経て明かされる驚愕の真実に我々がどう向き合うのか、現代社会に生きる今観るべき本作をぜひスクリーンで。なお、本作をひと足早く鑑賞した各界著名人のコメントは以下の通り。

目次

これまでに到着した各界著名人からのコメント(順不同・敬称略)

“人種の終焉”を議論する悪夢の112分。ガス室で実行された“民族浄化”のドキュメント映像は誰もが観た事があるはずだ。
あの20世紀最悪の虐殺計画(最終解決)は、如何に決定されたのか?15名の高官と書記が招集された秘密会議。流血も戦闘も遺骸も描かれない。
ベルリンの会議室で、我々は戦争の真の狂気を目撃する。
◆小島秀夫(ゲームクリエイター)

地獄は悪魔が作るのではない。
賢くマメで、タダ飯に弱く、周りをキョロキョロしながら
隣の席の上司にはつい相槌を打ってしまい、
後悔しても帰り道の酒で忘れるような凡人こそが作るのだ。
◆成田悠輔(研究者)

この会議は史実です 議事録が残っているのです
今 世界のどこかの国で 或いは どこかの谷間の集落で
このような会議が行われているかも知れません
我々人間はどうしてこのようなことを・・・・・
◆久米宏(フリーアナウンサー)

ヴァンゼー湖畔の白を基調とした邸宅は、ひっそりと清潔だった。会議室に通された。元は食堂だったらしい。平日の昼のせいか、人は誰もいない。靴音だけが響く。その印象を一言にすれば静謐だ。
でもかつてこの邸宅に召集された15人のナチス高官は、「ユダヤ人問題の最終的解決」について議論して、結果として大規模なホロコーストが現実化した。
アーヴィング・ジャニスがその著書である『集団浅慮』で説くように、人は集団で思考すると間違える。周囲に迎合し上の人を忖度し、ありえない結論に辿り着いてしまう。
防ぐ方法はひとつだけ。個を失わないこと。でも群れて生きることを選択した人類は、常に集団に埋没するリスクを内在している。つまりこれは昔話ではない。現在進行形だ。そう思いながら観てほしい。15人は彼岸の人ではない。
◆森達也(映画監督・作家)

彼らはいずれも堂々と、なぜ効率的にユダヤ人を抹殺しなければならないのかと
リアリティをこめて述べている。
なぜ今この映画を作らねばならなかったのか。
監督ほか制作者たちに問いたいことが次から次へと出てくる。
◆田原総一朗(ジャーナリスト)

観ない方がいいのかと、観る前に躊躇った。
観た後に、これは観るべき映画だったと確信した。
◆岩井志麻子(作家)

人類史上最悪の虐殺行為は、美しい湖畔に立つ屋敷で計画された。まるで来年の予算を決めるかのように淡々と進む会議のもと、時には笑いを交えながら、命が数字に置き換えられ処理されていく。禍根の歴史の裏側に迫る、真摯で恐ろしい作品だ。
◆楊睿之(COTEN RADIO パーソナリティ)

血も凍るような残虐きわまりない提言や判断が、なんとも官僚的で静かな会議で繰り出されている。そのギャップに戦慄した。哲学者ハンナ・アーレントの言った「凡庸な悪」がまさに具現化されたような物語。
◆佐々木俊尚(作家・ジャーナリスト)

ユダヤ人絶滅のためベルリンの静かな湖畔に集まった15人のナチス親衛隊と政府高官。いつしか自分も16人目としてその場に居合わせた錯覚に陥る。虐殺の方法は?輸送は?女性と子どもは?ドイツ人との混血は?死体の処理は?…。1100万人を虐殺するための会議はわずか90分。金縛りにあったように最後までひと言も発せられなかった自分に、ただただ戦慄を覚えるのだった。
◆大谷昭宏(ジャーナリスト)

会議はいつも一抹の不満と後悔を残して跡形もなく消えさる。
テーブルのうえにはレールの転轍点がいくつかあったはずなのだ。
たとえ狡猾に計画された結論ありきのテーブルであっても。
現場から遠く離れた密室で言いだせず呑みこんだ意見とともに、
死産した別の可能性の亡霊たちがうずたかく積みあがる。
そのうえに私たちの歴史は建っている。
◆大澤聡(批評家/メディア研究者)

本作が浮き彫りにするのは「良識vs邪心」ではなく、免罪符が必要か不要かという議論だ。それは伝統的理性と新興の疑似理性システムの戦いであり、後者を司るナチス親衛隊の集合意識とは何だったのか、に印象の比重を置いた点が、同じ舞台を描きながらハイドリヒをキャラ立ちさせた名作『謀議』との大きな違いであり、とても興味深い。
◆マライ・メントライン (ドイツ公共放送プロデューサー)

この優れた会話劇は、否応なしに観衆をヴァンゼー会議に「出席」させるだろう。失言すればキャリアを失うような会議、この議題が「大量殺戮」だったとしたら、あなたはどのような態度で臨むだろうか。この会議の先には、個々人の苦しみと絶望と死がある。こう考えたとき、ロシア・ウクライナ戦争などが起きている地球上で生きる私自身もまた、「命が消えゆく瞬間を現場で見ない者」のひとりだと気づかされるのだ。
◆柳原伸洋(ドイツ近現代史研究者/東京女子大学准教授)

コニャックとサーモンをつまみながら、
ドイツ人高官たちは“人道的”で“効率的”なユダヤ人の“最終解決”方法を話し合う。
私たちもまた、この“実務者会議”の出席者になるかもしれないのだ。
◆深澤真紀(獨協大学特任教授)

人間はここまで整然と異常な議論ができ、理知的に恐ろしいことを考える。これも確かに人の真の姿だ。だが、彼らにショックを受ける人道的な愛と正義感を持つ、観客のあなたたちがいる限り、人は報われると信じたい。
◆真魚八重子(映画評論家)

「平和が一番」と語る人々が、ユダヤ人問題の解決と称して「ガス室送り」を決める。
自分とは違う他者を排除した先にあるものとは。現代を生きるわれわれとて、
一歩間違えれば同じ過ちを犯しかねないことに気付く。
◆増田ユリヤ(ジャーナリスト)

出世や保身のために毒まんじゅうを食べる忖度官僚、
コスパや生産性を声高に叫ぶ意識高い系経営者、
そして映画を倍速で見るあなたにこそ、じっくりと観てほしい。
◆新谷学(「文藝春秋」編集長)

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