呉美保監督×吉沢亮主演で描く“耳のきこえない母”と“きこえる息子”の物語『ぼくが生きてる、ふたつの世界』2024年公開

ぼくが生きてる、ふたつの世界

作家・エッセイストとして活躍する五十嵐大の実録ノンフィクションを、呉美保監督吉沢亮主演、港岳彦脚本で映画化した『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が2024年公開となることが決定した。

今年の9月に公開された『私たちの声』(23)の一編『私の一週間』で8年ぶりに監督作を発表した呉監督が今回、『きみはいい子』(15)から9年ぶりの長編作品のテーマに選んだのは、コーダ(Children of Deaf Adults/きこえない、またはきこえにくい親を持つ聴者の子供という意味)という生い立ちを踏まえて、社会的マイノリティに焦点を当てた執筆活動をする五十嵐による実録ノンフィクション「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」。耳のきこえない母ときこえる息子の物語を点描のように繊細に紡いでいく。

今年は6本の出演作品が公開されるなど、幅広い役柄で俳優としてチャレンジを続ける吉沢は、本作でも難役に挑戦。耳のきこえない両親の元で育った息子・五十嵐大の心の軌跡を体現する。

なお今回、呉監督と吉沢から寄せられたコメントは以下のとおり。

コメント(敬称略)

■ 呉美保監督
原作を読み、きこえない両親に育てられた五十嵐大さんの人生に触れ、コーダならではの情緒と葛藤に、まだまだ知らない世界はあるのだなと無知を学びました。
と同時に、親と子の極めて普遍的な感情にも触れ、自分自身の家族へのいつかの懺悔が一気に蘇り、これはマイノリティには留まらない、大いなるアイデンティティの物語だと、強く思いました。
久しく映画作りからは遠ざかっていましたが、いつか復帰できるなら絶対にこの方と、と勝手に心に決めていたのは吉沢亮さんです。彼の、繊細かつ制御された芝居の奥底にある魂の叫びを覗き見たくて、さらにはまだ見ぬ新しい吉沢亮に出会いたくて、9年ぶりの長編映画に臨むに至りました。

■ 吉沢亮
感情の内側までも表現してくれる手話は口以上に多くを語り、言葉とはただ吐き出すものではなく、伝えるものであると言う、当たり前であるはずのことを改めて教えてくれました。
コーダとして生まれた葛藤を抱えながらも、両親から沢山の愛を受けて育った五十嵐大さんの人生を、昔からご一緒したいと夢見ていた呉美保監督と共に丁寧に生きさせてもらいました。お楽しみに。

原作紹介

「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」
「誰もが生きやすい世界は、いろんな境界線が混ざり合った世界だと思う」。耳の聴こえない親から生まれた子供=「CODA」の著者が描く、母子の格闘の記録。感涙の実録ノンフィクション。

ぼくが生きてる、ふたつの世界

ストーリー
宮城県の小さな港町で暮らす五十嵐家に、男の子が生まれた。両親、祖父母は“大”と名付けて誕生を喜ぶ。ほかの家庭と少しだけ違っていたのは、父・陽介と母・明子の耳がきこえないこと。幼い大にとって、時には母の“通訳”をすることも“ふつう”の楽しい日常だった。しかし成長とともに、周囲から特別な目で見られていることに戸惑い、苛立ち、母の明るさすら疎ましく思いはじめて、冷たい態度をとることが増えていく。心を持て余したまま20歳になり、逃げるように東京へ旅立つ大。そして数年後。“きこえない世界”と“きこえる世界”のふたつの世界を行き来するなかで、帰郷したある日、記憶の底に隠れていた母への思いもかけない気持ちがあふれ出し…。

作品タイトル:『ぼくが生きてる、ふたつの世界』
出演:吉沢亮
監督:呉美保
脚本:港岳彦
原作:五十嵐大「ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと」(幻冬舎刊)
企画・プロデュース:山国秀幸
手話監修協力:全日本ろうあ連盟
製作:「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会(ワンダーラボラトリー/博報堂DYミュージック&ピクチャーズ/ギャガ/JR西日本コミュニケーションズ/アイ・ピー・アイ/アミューズ/河北新報社/東日本放送/シネマとうほく)
配給:ギャガ

公式サイト:https://gaga.ne.jp/FutatsunoSekai/
公式X:@FutatsunoSekai_
コピーライト:(C)五十嵐大/幻冬舎 (C)2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会

2024年全国ロードショー

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