新鋭・坂田貴大監督劇場デビュー作『クマ・エロヒーム』公開決定!新世代インディーズ界の異才が放つ、壮大なるSF叙事詩

クマ・エロヒーム
石井岳龍(ex聰亙)、冨永昌敬、入江悠、沖田修一など日本映画界を代表する監督らを輩出してきた日本大学芸術学部映画学科を卒業、その系譜へと歩みを進める23歳・厄介者、坂田貴大監督劇場デビュー作品。映画『クマ・エロヒーム』の公開が決定した。
前作「阿呆の舞」(2016)では、マイナンバーから逃げる男の姿を通して、ディストピアな世界観を基に〈監視社会〉を風刺的に描き上げた坂田監督。今作彼が着目したのは〈国内初第三者卵子提供での出産成功〉と〈少子高齢化社会〉だ。
現代の日本〈地球〉ではなく、地球とよく似た他の惑星という空間を舞台に、生と死がコントロールされた管理社会の中で、孤独にもがき続けるひと組のカップルの姿を通じて、普遍的な男女の愛を描いている。

劇中で登場する女・エマを演じるのは、『赤い玉、』(高橋伴明監督)で主演の奥田瑛二をも唸らせ鮮烈な銀幕デビューを果たし、その後PFFアワード2018グランプリ作品『オーファンズ・ブルース』(工藤梨穂監督)でも多くの観客をも魅了した、村上由規乃。
画像01
男・アユム役は、国内はじめ各国の映画祭でも入選を果たした『春みたいだ』(シガヤダイスケ監督)主演、古矢航之介。相手を徹底的に考え想い、自らをスクリーンの中の人間へと昇華し解き放っている。
また、本作は、今では使用頻度が少なくなってきた16mmフィルムカメラで撮影が敢行され、約20のロケーションから架空の地が創造された。

コメント一覧

地球の代わりにほかの惑星。国家の代わりに宗教。子どもの代わりに人形。あらゆる代替によって築かれた2117年の社会では、当の人間もまた感情豊か、である代わりにオブセッション豊か、に生きざるえない。100年前を生きている僕らはゾッとしつつ、この美しい映画に癒されもする。なぜだろう。もう始まってるからか。それなら「100年前」なんてキリのいい数字を挙げて未来を眺めるのはやめよう。今は99年前なのだ。もう1年が過ぎている。しっかりしよう。『クマ・エロヒーム』という美しい警句があったこと、愛に代わるものは何もないことを、99年後の若い夫婦たちに伝えるために。
(映画監督・冨永昌敬『素敵なダイナマイトスキャンダル』『南瓜とマヨネーズ』『ローリング』)

野心にあふれる映画だ。
フィルム撮影を徹底しフィックスのロングショットに静かな情念が炸裂している。
主題からして、うわべの綺麗さやちょっとした驚きを重宝する昨今の流行とは全く反している。現在に異を唱える反時代な孤高の魂が、今こそ必要なのだ。そんな勇気をもらえた。
(映画監督・瀬々敬久『菊とギロチン』『64ロクヨン』『ヘヴンズストーリー』)

たくさんの美しい絵。緑と海と建築物。SFというより近未来。孤独と子供と死。
静かに熱を帯びた、好きな顔の俳優たち。村上由規乃と古矢航之介という字面すら魅力的。
それなのになぜか見にくい映画。それはこの映画が放つ個性のせいだ。
(映画監督・今泉力哉『愛がなんだ』『パンとバスと2度目のハツコイ』『サッドティー』)

いつの間にか我々は、かつて思い描いていた夢のような未来像が絵空事だと気付いてしまった。否、何となく気付いていたからこそ、夢を描いていたのかも知れない。そう遠くない未来、先端技術という<夢>だけは叶い、命のあり方が変わってしまうという<悪夢>を、現代社会の抱える問題へ置き換えながら、<愛>のありかをも問うてみせている。
(映画評論家・松崎健夫)

タイトルも主題も重々しいはずなのに、どこか清々しい。世界を支えようとする確かなロケーションとは裏腹に、物語は手中に収めようとせず、少し手放して、人の佇まいを見ようする瞬間に空気が映る。そういう時間にこそ何かが宿ろうとしている。
(映画監督・五十嵐耕平『泳ぎすぎた夜』『息を殺して』)

圧倒的なロケーション。静謐な空気感と、精緻な世界観。
そして何より、勝負どころでしっかりと見せる俳優の演技。魅入りました。
(俳優・大西信満『止められるか、俺たちを』『菊とギロチン』『キャタピラー』)

オナニーなのかなと思った。執拗な製作へのこだわりが。
でもアソコまで粘って作った映画は私の心の奥にズブリと挿さり、身悶えた。
愛とは。生とは。見た人の内に得も言われぬ感情の塊を産みつける怪作。
届け響け感じろと迫りくる画に恍惚とした。
(映画ライター・大久保渉)

ミニマムな関係性を描くのが主流のインディーズ映画で、この壮大な物語を、説得力のあるロケーションと役者の力で見せきっていることに驚かされた。
物語は、少子化を食い止める為に、別の惑星に送り込まれた若い夫婦、エマとアユムを主軸にして進行する。二人の間には15年の年月が流れているが、まだ随分と見た目が若く、青春の時間がまるごと失われていることが、痛みとして伝わってくる。
目的が先にある関係はどこか窮屈で、一緒のときも、そうでないときも、いつも孤独な表情を浮かべている二人だが、最後にあることがきっかけで、忘れ難い表情を私たちに見せてくれる。
曖昧な中に強い意志を感じさせる村上由規乃と、若さと落ち着きの狭間にある危うさが印象的な古谷航之介。二人の魅力と監督のチャレンジ精神が光る作品だ。
(映画監督・安川有果『Dressing Up』)

近未来か、違う世界線での出来事なのか、それとも脳内でのみ繰り広げられているのか。
静かな空間に佇むふたりは決して言葉にはしないが、その痛みが確かな感触として伝わってくる。美しい情景、裸、耳触り。映画館という暗闇で脈々と鼓動をうつ作品。
(映画監督・井樫彩『真っ赤な星』『溶ける』)

馬鹿馬鹿しく、恐ろしい。彼らの歩む未来に果たして青空はあるのか。ただの役割としての生は、死と大差ないのだとこの映画から知りました。人間らしく生きていたい
(俳優・根矢涼香『ウルフなシッシー』『少女邂逅』)
画像02

ストーリー
地球とは違う別の惑星、波が激しく打ち寄せる切り立った崖の上にアユム(古矢航之介)は立っていた。アユムはベビーカーに乗せた赤ん坊の人形を手に取ると、海へと投げ捨てた。「本当にこの星でみんなが暮らせるようになるの?」
エマ(村上由規乃)がアユムに問いかける。「それがヤヌーカの方針だから」アユムとエマは、この星を管理する宗教団体「ヤヌーカの丘」によって、地球から送り出されていた。「ヤヌーカの丘」では妊娠と出産が激しく推奨されたが、アユムとエマに子供が宿る事はなかった。二人にとっての子供は赤ん坊の人形。「もういいんじゃないかな」エマがアユムに問いかける。「もう少し続けてみよう」アユムは言葉を濁すが、子供ができない理由が自分にあるとわかっていた。アユムとエマは祈る。クマ・エロヒーム。「神々よ、立ち上がってください」

画像03

作品タイトル:『クマ・エロヒーム』
画像04出演:村上由規乃、古矢航之介、
高見綾、本田七海、加賀谷健、マリア・マルコヴィッチ、グールド・バイロン、渡部剛己
監督:坂田貴大
撮影:清水大河
録音:島田実里
製作:紀平知賢、大須賀一正
助監督:河合遥祐
スタイリスト:大﨑智美
ヘアメイク:津嘉山南
CG:伊藤聖也
車輌:宮﨑渉大
音楽:hakobune
ヴァイオリン作曲:尾方凜斗
ヴァイオリン演奏:恒吉泰侑
整音:原夕輝
ビジュアルデザイン:荒木彩可
2018年/日本/76分/カラー/ステレオ/DCP/16:9

公式ツイッター:https://twitter.com/kuma_elohim2017
コピーライト:(c)映画「クマ・エロヒーム」製作委員会

12月22日(土)より嘆きの1週間レイトショー 池袋シネマ・ロサにて!

↑上に戻る