12月31日をもって、100年に渡る日本での劇場配給業務を終了する事となったワーナー ブラザース ジャパン合同会のメモリアルイベント「ワーナー・ブラザース映画ファンフェスティバル」が、12月15日から12月23日の9日間、東京・丸の内ピカデリーと大阪・なんばパークスシネマの2劇場にて開催された。

最終日には、『るろうに剣心』の舞台挨拶が東京・丸の内ピカデリーで実施され、全シリーズの監督を務めた大友啓史、そしてアクションを手掛けた谷垣健治が登壇。さらに、佐藤健、武井咲、青木崇高、土屋太鳳がサプライズで駆けつけた。
『るろうに剣心』シリーズは、これまでシリーズ5作品が製作され、国内累計興行収入は194億円を超えるワーナー・ブラザース映画を象徴する映画として今なお愛されている。
そんな大人気シリーズを手掛けた大友監督は「テレビ局でドラマを作っていましたが、10年戦える若いスタッフを集めてこの作品を作り始めました。一番よかったのは、スタッフとキャストにとってキャリアのスタートになる作品になったことです。色々なノウハウを知りながら作っていったので、色々な礎になった映画だと思います」と、大友監督のキャリアにとっても大切な作品になったことを告白。
そしてシリーズの代名詞ともいえる高速アクションを作り出した谷垣は「新作ではないのにこんなにたくさんの方が観に来てくれるのは本当に嬉しいことです。僕らの周りは、この一本で色々な人の人生が変わりました。漫画が原作ですが、実写にしかできないことを考えた時に行きついた答えは“役者に頑張ってもらうこと”でした」と、アクション誕生の当時を振り返った。
そして、ここでキャストである佐藤、武井、青木、土屋が登壇。突然のサプライズで、会場に集まった観客からは割れんばかりの声援と拍手が贈られた。

2011年のクランクインから映画『るろうに剣心』シリーズを主人公・緋村剣心役として引っ張ってきた佐藤は「『るろうに剣心』がこんなに大シリーズになるとは思っていませんでした。当時はそんなことを考えられないくらいに、今日を生き残るのが精一杯だったんです。原作ファンとしても『これをどのように映画化するんだ』という想いでしたが、その時に谷垣さんから『こういうアクションでいこうと思う!』というアクション映像を見せてもらったんです。それが見たことのないクオリティで、『これなら実写化も実現可能なのかもしれない』と思いました」と振り返った。
すると、クリスマスシーズンに合わせトナカイの被り物を被って登場した、兄貴肌の喧嘩屋で剣心の友でもある相楽左之助を演じた青木は「1作目の時にタケちゃん(佐藤)は、『アクションが上手くいかなかったら、役者を辞める』って言ってたもんね?」と、当時の佐藤の覚悟の強さを明かした。
剣心と共に戦う“京都隠密御庭番衆”の巻町操役として、激しいアクションにも挑戦した土屋は「これから上映になる1作目は、高校生の時に客席で見ていたんです。その時に『これは凄い作品になるぞ』と確信していました。そして『絶対に続くし、中に入りたい!』と思いました。当時は原作があるものの実写化は試行錯誤の時代だったと思います。その時に突き抜けた作品が『るろうに剣心』だと思いますので、私にとってはご先祖様のような作品です」と語った。
すると佐藤は「当時はアニメで観ていたものの実写化は誰も正解が分からなかったんです。その中で大友さんは『漫画をリアルに落とし込むんだ』と言い続けていて、それが結果的に唯一の正解になっていると思います」と語った。

そんなリアルにこだわった撮影を振り返り、大友監督は「最初は『剣心の動きは再現できないだろう』と思って、モーションキャプチャーで撮影するっていう案もあったんです。でも、そうすると人間の動きにはならないんですよ。風でなびく和服の表現とかも表現したかったので、役者でできるところまでやろう!と決めましたね」と語った。
さらに「薫ちゃんも17歳の役なので、TVで見ていて武井さんを見かけた時にメモしました。『この人に会ってみたい!』と思いました」と起用秘話を明かすと、まっすぐな心を持ち流浪人として現れた剣心に居場所を与える神谷薫を演じた武井は「当時の私は17、18歳くらいだったんですが、大友監督と佐藤さんから『どれだけやれますか!?』って聞かれて、発言ができなくなってしまったんです。お芝居で見せないと何も言っても伝わらないし、届かないんだなって感じました。それくらい自分を奮い立たせて、私にとって試される現場でした」と、自身にとってもターニングポイントになった作品であることを告白。
公開時は、“殺さずの誓い”である逆刃刀を武器に高速で繰り広げられる剣心の殺陣が話題を呼んだが、佐藤は「最後の作品とかは一夜漬けでアクションを覚えることもあったので、今振り返るともっと準備して臨みたかったなとも思います。他の撮影をしている裏でアクションを叩きこんで、その場で撮影するみたいなシーンもあります」と過酷な当時の撮影を振り返った。
土屋も「私は谷垣さんの『アクションは心』っていう言葉が座右の銘にもなっています。一番最初の練習の時に『アクションが上手い人なんていくらでもいる。俺が求めてるのは、アクションが上手い人ではなく、役としてアクションができる人なんだ。だから操のクセを作ってきて!そしたら操ができるから』って言われて、それが今でもアクションだけではなくお芝居の核にもなっています」と振り返った。
大友監督は「戦いの中で自分を表現するしかない時代の人たちの物語なので、アクションの中から個性を見つけていくというのを谷垣さんにもお願いしていました」と語ると、谷垣も「最後の最後まであがいて作り上げていました。本気で作品を作ろうと思うと、撮影とか美術とかいろいろなものに口を出したくなるんです」と語った。
そんな製作陣の会話を耳にした佐藤は「20歳を超えてから、大人たちがガチの喧嘩をしているのを見たのは『るろうに剣心』が初めてです。そのくらいスタッフ全員が本気で挑んだ作品です」と大友組の裏側を明かした。
そんな過酷なアクション撮影を身近で見守っていた武井は「皆さんが撮影に向かうのを見送って、私は時間が空いていたので楽屋で休んでいたんです。少し眠って目が覚めると、まだ撮影しているんですよ!それでもう少し休んで、パッと目が覚めたらまだ撮っているんです!1シーンを撮り続けて、やっと終わって戻ってきたら、皆さんボロボロで。声がかけられないくらいでした」と当時を振り返った。

そして日本のみならず世界中を沸かしたシリーズ5作品の当時の宣伝活動について青木は「全国各地回って、フィリピンとか海外行った翌日にまた日本で舞台挨拶するみたいなこともありました。また、ああいうことをやりたいなぁ。ワーナーさん本当にありがとうございます!」と感謝の想いを伝えた。
すると佐藤は「また皆で別の形で何かやりましょうよ!」と提案すると、大友監督は「何かやるか!ところで皆はまだ体動く?」とアクションに再度挑戦することを希望すると会場は拍手で大盛り上がり。
最後には佐藤が「『るろうに剣心』は僕に大切な出会いをくれました。たくさんの仲間をくれました。この作品は僕の自慢であり、誇りであり、宝物です。是非ずっと愛し続けてくれたら嬉しいです。この作品を出会わせてくれて、ワーナーさん本当にありがとうございます。形は変わるかもしれないけど、終わりではないと思っています。また一緒に映画界を盛り上げていきましょう」と語り、イベントは幕を閉じた。