【プレゼント】豪華ゲスト登壇予定『ボヘミアン・ラプソディ』ジャパン・プレミア試写会に10組20名様ご招待!

ボヘミアン・ラプソディワンフレーズを耳にすれば思わず心が躍りだす名曲で、世界中を魅了する伝説のバンド<クイーン>。そのリード・ヴォーカルにして史上最高のエンターテイナーと讃えられるフレディ・マーキュリーの生き様を映し出すミュージック・エンターテイメントが誕生!音楽総指揮には現メンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラーが務め、劇中に甦った不朽の名曲には主にフレディ自身の歌声が使われ、その唯一無二のヴォイスは心臓に鳥肌が立つほどの感動を呼び起こす。あの大ヒットミュージカル作品『グレイテスト・ショーマン』の20世紀フォックス映画が贈る、悩める者、弱き者に捧げる、ミュージック・エンターテインメント『ボヘミアン・ラプソディ』が、11月9日(金)に公開を迎える!

この度、本作の公開に先駆け、豪華ゲスト登壇予定の『ボヘミアン・ラプソディ』ジャパン・プレミアの開催が決定いたしました!皆様のご応募を心よりお待ちしております。
※応募締切:10月28日(日)

『ボヘミアン・ラプソディ』ジャパン・プレミア試写会10組20名様ご招待!

【日時】11月7日(水) 18:00開場/18:30舞台挨拶
【場所】TOHOシネマズ 六本木ヒルズ SCREEN 7
(東京都港区六本木6丁目10-2 六本木ヒルズけやき坂コンプレックス内)
◎登壇者:豪華ゲスト予定

【ご注意事項】
※舞台挨拶後に本編の上映を行います。
※レッドカーペットへの入場はできません。
※本イベントは郵送(招待状)での当選通知となります。
※当日は当選者様にお送りするご招待状をご確認、ご持参の上、ご来場をお願い申し上げます。
※当日はメディア取材が入る予定です。お客様が取材等で写り込む場合がありますので予めご了承下さい。
※都合により、ゲストは予告なく変更、イベントが中止、日程変更となる場合があります。予めご了承ください。
※満員の際は消防法によりご入場をお断りいたします。予めご了承ください。
※会場までの交通費、宿泊費などは、当選者様ご自身のご負担となります。
※当選の途中経過や当選結果に関するお問い合わせは承ることができませんので、ご了承ください。


※プレゼントは終了いたしました。たくさんのご応募をいただき、誠にありがとうございました。
※当選の発表は、当選者のみに招待状(郵送)の発送をもって代えさせていただきます。

INTRODUCTION

「世界で最も売れたアーティスト」に名を連ね、マイケル・ジャクソンやエアロスミスらと共にロックの殿堂入りを果たし、日本でもスポーツシーンやドラマ、CMなどで世代を問わず誰もが耳にしたことのある伝説のロックバンド、クイーン。『X-MEN』シリーズのブライアン・シンガーがメガホンをとり、今もなお世界中を魅了し続けるクイーンの現メンバーのブライアン・メイとロジャー・テイラーを音楽総指揮に迎えて、1991年に惜しくもこの世を去った史上最高のエンターテイナー、フレディ・マーキュリーの姿を描く本作。劇中に甦った不朽の名曲には主にフレディ自身の歌声が使われ、その唯一無二のヴォイスは心臓に鳥肌が立つほどの感動を呼び起こす。

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レディー・ガガが「史上最高の天才エンターテイナー」、ケイティ・ペリーが「今も最も影響を受けている」と称賛。それが伝説のバンド<クイーン>のリード・ヴォーカル、フレディ・マーキュリーだ。彼の名前も顔も知らなくても、「ボヘミアン・ラプソディ」、「伝説のチャンピオン」、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」などのワンフレーズを耳にすれば、誰もがたちまち心浮き立ち、思わず歌いださずにいられない。

いかにしてフレディは、世間の常識や既成概念に逆らい、従来の音楽を打ち破り、地上で最も愛されるエンターテイナーになったのか?なぜ、愛と孤独、プレッシャーに引き裂かれたのか?そして崩壊寸前に陥ったバンドを立て直し、永遠のレガシーを確立したのか?20世紀最大のチャリティコンサート“ライブ・エイド”で音楽史に残る史上最高のパフォーマンスを披露した彼らの華やかな活躍の裏では誰も知らなかった真実のストーリーがあった・・・。メンバーからも愛され続ける<彼>の物語が今、明かされるー。

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AROUND THE WORLD

クイーン:世界に君臨して─彼らが世界に与えた衝撃とは?

〈注目すべきハイライト、トリビア、業績〉

フレディの生い立ち
フレディ・マーキュリーの本名はファルーク・バルサラで、現在はタンザニアの一部となっているザンジバルで生まれた。両親のボミ・バルサラとジャー・バルサラはインドからの移民で、ゾロアスター教を信奉するパールシー教徒。つまり祖先は、ペルシアからインドへの移民だったことになる。彼らの苗字は、インド、グジャラート州南部の都市ブルサー(Bulsar、現在はヴァルサード“Valsad”として知られている)から取られている。

バルサラ一家がザンジバルに移住したのは、ボミがイギリス植民省の仕事をしていた関係から。1955年1月、当時8歳のフレディは、勉学のためセント・ピーターズ・スクールに送られる。ボンベイ(現ムンバイ)に近いパンチガニにあるイギリス式の寄宿制男子校だ。1964年、17歳になったフレディは、両親、そして妹のカシュミラと共にイギリスに移住した。天性のアーティストである彼は、イーリング・アート・カレッジで、アート・アンド・グラフィック・デザインの学士号を取得した。

イギリス

  • 1974年2月21日、クイーンはBBCの伝説的なテレビ番組「トップ・オブ・ザ・ポップス」に初登場し、「輝ける7つの海」を歌った。
  • 1975年11月20日には、「トップ・オブ・ザ・ポップス」で彼らの曲「ボヘミアン・ラプソディ」のビデオを放映するという歴史的快挙を達成。バンドメンバーは実際に出演するのではなく、ビデオに撮られた姿をイギリス全土に送り届けたのだが、それは音楽の歴史の中でも極めてユニークな瞬間だった。その映像は、シングル曲「ボヘミアン・ラプソディ」のプロモーションビデオであり、ひし形に並んだ四人の顔が浮かび上がる、あの忘れがたいイメージが含まれている。音楽業界に衝撃を与えた映像は、今では現代的なMTVスタイルで撮られた最初のミュージックビデオとして広く認められている。

「ボヘミアン・ラプソディ」は、翌週の11月25日にチャートで第1位を獲得する。バンドがそのニュースを知ったのは、マンチェスター・ホテルにチェックインするさなかだった。伝説によれば、あまりにも喜んだ彼らが、部屋に向かうエレベーターの中で飛び跳ねたおかげで、エレベーターは壊れてしまったという。

  • 「ボヘミアン・ラプソディ」は、1975年のイギリス国内ツアー〈Queen invite you to A Night At The Opera〉でコンサート・デビューを飾った。この曲は当時のシングルチャートで話題を独占し、ついにはプラチナディスクとなった。
  • 1976年12月にリリースするアルバム「華麗なるレース」のプロモーション企画として、メンバーは10月にイギリスのケンプトン・パークで開かれた、競馬の特別レースに参加した。EMI主催の「華麗なるレース・ステークス」という名の特別レースで、メンバー同士で相談したわけでもないのに偶然にも全員が同じ馬に賭け、さらにその馬が優勝を果たす。リリース5日前で既に予約注文数が50万を超えたが、これはそれまでEMIがリリースしたアルバムの中でも最高の数字だった。
  • 1985年、ウェンブリー・スタジアムで開催された歴史的コンサート〈ライブ・エイド〉。ここでクイーンは人気を独占したが、そのライヴ・パーフォーマンスは、バンド史上最大のものと広く認められている。生中継は、世界150ヶ国の19億人が視聴したと言われ、エチオピアを飢饉から救うための募金活動を目的としていた。
  • 「グレイテスト・ヒッツ」は、イギリス国内では未だにアルバム史上第1位の売り上げを誇っている(オフィシャル・チャート・カンパニー調べ)。1981年にリリースされ、イギリスで600万枚以上を初めて売り上げた唯一のアルバムだ(現在までのセールスは610万枚)。驚くべきことにも、「ウィ・ウィル・ロック・ユー」、「地獄へ道づれ」、そしてクイーン最大のヒット曲「ボヘミアン・ラプソディ」などの名曲を収録した、バンド初のこのベスト・コレクションを、イギリスでは3世帯に1世帯が所有していることになる。

 

日本

  • 1975年春、クイーンは日本ツアーに出発した。空港に到着すると、歓迎のファンが3000人以上も集まっていた。日本ではちょうどその頃、「シアー・ハート・アタック」が第1位となっていたのだ。バンドメンバーは、ビートルズフィーバーを彷彿とさせるような騒ぎの中で、どこに行っても泣きわめくファンの群れに追いかけられたのだった。
  • フレディは親日家で、日本の美術品や骨とう品を収集していた。来日時には度々ショッピングに熱中し、絵画や家具をロンドンに空輸させた。
  • 1975年4月19日に東京で開催されたコンサートでは、観客動員数1万人を記録。ファンは自制心を失って興奮状態に陥り、フレディはコンサートの途中で彼らを落ち着かせなければならなかった。
  • 1975年5月1日に東京で開催されたコンサートでは、ブライアンがギターソロで日本の民謡「さくらさくら」を披露。アンコールでは、メンバー全員が着物姿で登場した。
  • 1975年、バンドはツアー初日を飾るコンサートを武道館で開催した。このコンサートの映像には、当時29歳のフレディが、他のバンドメンバーや和服姿の日本女性らと共に、東京タワー前の芝生に座り、野点を楽しんでいる姿が残されている。
  • クイーンは、1975年のアルバム「オペラ座の夜」のプロモーションのため再来日し、相撲取りと対面したり、日本酒を飲んだり、子供たちの一行と挨拶を交わしたりする姿を撮影された。
  • 日本のアニメやポップ・ミュージックの分野には、フレディへのオマージュが多く見られる。例えば連載漫画「魁!! クロマティ高校」では、何度も登場するキャラクターとなっていて、その名もフレディ、赤いサスペンダー付きの長い茶色のズボンだけをはき、フレディのトレードマークとも言える壊れたマイクスタンドを持ち歩く。決して口を利かないのだが、素晴らしい歌声の持ち主という設定だ。

 

フランス

  • クイーン初のパリ・コンサートは、1978年4月23日にパヴィヨン・ド・パリで開催された。フレディ・マーキュリーが、フランス語で観客に話しかけた場面もある。
  • フランスの振付家モーリス・ベジャールによる、クイーンの音楽に基づいたバレエが、1997年1月にパリの国立劇場で初演された。オープニング・ガラ・ナイトを締めくくるゲストとして、ブライアン、ロジャー、ジョンがエルトン・ジョンと共に登場し、「ショウ・マスト・ゴー・オン」をライブで披露。これは、ジョン・ディーコンがクイーンの他のメンバーと共にライブで演奏する最後の機会となり、ジョンはその後引退した。

 

ドイツ

  • 1979年6月、クイーンはアルバム「ザ・ゲーム」のために、ドイツ、ミュンヘンのミュージックランド・スタジオで新曲に取りかかった。レコード・プロデューサー兼サウンド・エンジニアのラインホルト・マックによれば、作業は1週間と2週間の二つのセッションで完了したという。ここでレコーディングされた曲には、「愛という名の欲望」があるが、これはフレディがミュンヘンのホテルで風呂につかりながら作曲した!
  • 1985年9月5日、フレディは39歳のバースデイ・パーティを、ミュンヘンのヘンダーソン・ナイトクラブで開催した。いつものように常識外れの贅沢なパーティで、招待客には黒と白のドレスのみ着用というルールを設けていた。その模様の一部は撮影され、ビデオ「リヴィング・オン・マイ・オウン」に使用されている。

 

スペイン

  • クイーンがスペインで初めてコンサートを開催したのは、1974年12月のことだが、販売された6000枚のチケットは、わずか1日でソールドアウトしてしまった。
  • 1988年、フレディはスペインのオペラ歌手、モンセラート・カバリエと共にアルバム「バルセロナ」をレコーディングした。シングル「バルセロナ」は、イギリスのチャートでは第8位だったが、スペインでは第1位の座を獲得。1992年、この都市で開催された夏季オリンピックのオフィシャルソングにもなった。

 

ハンガリー

  • 1986年7月27日、クイーンはハンガリー、ブダペストのスタジアム、ネープシュタディオンでコンサートを開催し、またもや歴史にその名を刻んだ。スーパースターが東側のスタジアムで演奏したのは初めてのことで、開催日のはるか前にチケットは完売。コンサートの模様は、ハンガリー国営映画機関〈MAフィルム〉が〈クイーン・フィルムズ〉と協力してカメラに収めた。この撮影のために、ハンガリー中の35ミリカメラがかき集められた。

 

スイス

  • 1979年7月、クイーンはモントルーのマウンテン・スタジオを買い上げた。バンドメンバーは、レマン湖の素晴らしい景色を楽しめるこの風光明媚な町を、レコーディングや休養のため定期的に訪れた。
  • クイーンが他の才能との共作により残した偉大な成果の一つである「アンダー・プレッシャー」は、マウンテン・スタジオでデヴィッド・ボウイと共にわずか数時間のうちに作曲され、またもや音楽史に新たな1ページを付け加えた。
  • フレディ・マーキュリーが有終の美を飾った歌「マザー・ラヴ」で、最後のヴォーカルをレコーディングしたのは、1991年5月、マウンテン・スタジオでのことだった。
  • 1996年11月25日、モントルーでフレディのブロンズ像の除幕式が行われた。高さは3メートルほどもあり、レマン湖を見渡している。フレディは片手にマイクを持ち、拳を宙に突き上げるという象徴的なポーズと共に、不滅の存在となった。この記念碑の作者は、チェコの彫刻家、イレナ・セドレツカ。1996年、マーキュリーの母ジャー・ブルサラと、スペインのオペラ歌手モンセラート・カバリエにより除幕された。
  • 毎年、マーキュリーを偲ぶパーティ〈フレディ・フォー・ア・デイ(FFAD)〉が、モントルーで開かれている。開催日は9月5日近辺で、大宴会や夜通し続くアトラクションでフレディの誕生日を祝い、マーキュリー・フェニックス・トラストへの基金を募っている。このトラストは、ブライアン・メイ、ロジャー・テイラー、バンドマネージャーのジム・ビーチらにより設立された、HIVエイズ撲滅を目指す慈善団体で、世界中のエイズ関連事業に援助の手を差し伸べている。
  • FFADが開催されるカジノ・バリエール・ド・モントルーには、常設の展示施設であるクイーン・スタジオ・エクスペリエンスもある。これは、クイーンが「アンダー・プレッシャー」を始めとする、多くの楽曲をレコーディングしたモントルー・レコーディング・スタジオを、入場者も参加できる形で忠実に再現したもので、バンドの思い出となる品々や衣装などが展示されている。

 

ノルウェー

  • 2017年、ノルウェーの航空会社ノルウェー・エアシャトルが、イギリスの〈テイルフィン・ヒーロー〉として、フレディ・マーキュリーを採り上げることを明らかにした。ノルウェー・エアシャトルの航空機2機の機体に、フレディの肖像画が描かれることになったのだ。この会社では、各ジャンルを代表するインスピレーションに満ちた人物を、自社の航空機の尾翼(テイルフィン)に描くことで、彼らに敬意を表している。この尾翼が大空を駆け巡ったのは、フレディの71歳の誕生日を間近に控えた頃だった。

 

アルゼンチン

  • 1981年のツアー期間中、アルゼンチンではクイーンのアルバムすべてがトップ・テン入りしていた。このツアーは、アルゼンチン初のバンドツアーとなった。クイーンは8日間で3つのワールドカップ・スタジアムを満席にし、5つのスタジアム・コンサートをソールドアウトにした。
  • 1981年2月24日、アルゼンチンの大統領ホルヘ・ラファエル・ビデラは、ブエノスアイレスに到着するクイーンのため、軍兵士による警護を指示した。
  • 2月28日のコンサートでは、観客が「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」をフレディと共に合唱し始めた。熱狂的ファンはヴォーカルを乗っ取り、フレディは歌うのをやめて聞き入ることに! 地元の人々は英語を話せなかったが、歌詞は完璧に覚えていた!

 

ブラジル

  • 1981年、クイーンは南アメリカをスタジアム・ツアーで回る最初のロックバンドとなった。このツアーでは、3月にサンパウロで、コンサートを2回開催する予定だった。バンドの機材は、フライング・タイガー航空からチャーターしたボーイング747貨物機で、東京から空輸することになった。サンパウロのコンサートでは、一つのバンドの演奏を見るためにチケットを買った観客の動員数が世界記録となった。
  • 1985年1月にリオデジャネイロで開催された世界最大のフェスティバル〈ロック・イン・リオ〉第1回では、クイーンが人気を独占。1月12日のオープニングと19日のクロージングの2夜に登場し、クロージングの夜には30万人を超える観客を魅了した。一つのコンサートの動員数としては、当時最大の記録となった。
  • 1978年、フレディ・マーキュリーはエルトン・ジョン、ロッド・スチュワートと共にリオのカーニバルに参加した。

 

世界全体

  • 世界中のファンがフレディ・マーキュリーに敬意を表する地球規模のチャリティーイベント〈フレディ・フォー・ア・デイ〉が、毎年9月5日(フレディの誕生日)に開催されている。参加者の多くは、フレディの人生を祝福しようと白いベストや有名な黄色いジャケットで着飾り、トレードマークの口ひげをスマートに生やして、今は亡き名シンガーのようにドレスアップする。このイベントは世界各地で行われ、1992年に彼の名の下に設立されたエイズのための慈善団体、マーキュリー・フェニックス・トラストへの寄付金を募っている。
  • 2005年、ソニー・エリクソンが主催した投票では、「伝説のチャンピオン」が世界一愛される歌として認定された。
  • 2011年、ロンドンのゴールドスミス大学の科学調査チームによれば、ポップ・ミュージック史上最も魅力的な歌は、「伝説のチャンピオン」であることが明らかになったという。

 

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グレアム・キング(プロデューサー)

これはクイーンの音楽と、史上最高のリード・ヴォーカルの一人であるフレディ・マーキュリーを称える映画だ。完成するまでに8年の歳月を費やしたが、それだけの価値があったと確信しているし、私たちがやり遂げたことをとても誇りに思っている。

フレディは、既成概念や周囲の予想を打ち破り、自身と自らの音楽を信じて、すべてを変えた。その結果、フレディはバンドと共に並外れた成功をおさめ、地上最も人気を博したエンターテイナーの一人となり、今日に至るまで続いているレガシーを確立した。

クイーンの曲は、数え切れないほどの映画やコマーシャルに使われ、今も世界中のスタジアムや、バーとパブで鳴り響いている。彼らの音楽は、アウトサイダーや夢を追う人、音楽ファンたちをインスパイアしてきた。ごく少数のパフォーマーにしかできない形で、人々と繋がりを持ったフレディだからこそ生み出せた音楽だ。

私はこの仕事について以来、幸運にも偉大な役者たちとコラボレーションしてきた。たとえば、レオナルド・ディカプリオやダニエル・デイ・ルイスだ。だが、フレディ役のラミ・マレックの演技は、これまで私が観たことのないようなレベルに達している。

 

ブライアン・メイ(クイーン、リード・ギター)

完成した映画を観て、ワクワクしている。これは伝記映画ではなく、硬い岩から掘り出されたような、純粋なアートだ。家族や人間関係、希望に夢、悲嘆や失望、そして最後には勝利と達成感が、誰にでも共感できるような物語として描かれている。決して楽な旅ではなかったが、価値のある旅というのは、すべてそういうものだ!ラミとルーシー、それに若者たちがとてつもない演技を見せてくれ、実物よりもずっと立派だ!!

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ストーリー
数々の名曲で世界中を魅了した史上最高のエンターテイナー、フレディ・マーキュリー。複雑な生い立ちや容姿へのコンプレックス、孤独を抱えた名もなき若者だった彼が、生涯のファミリーとなるバンドメンバーと出会い、常識を打ち破る革新的な音楽を生み出し続ける事でスターダムに駆け上がる。
しかし、栄光の影で世間ともバンドメンバーとも衝突を繰り返すようになり、やがて、バンドは崩壊寸前の危機に瀕してしまう。フレディは誰にも言えなかった“ある秘密”を告白する。
自分たちに残された<限られた時間>を知ったメンバーは、20世紀最大の音楽イベント“ライブ・エイド”に彼らの全てを捧げると決意するー。

作品タイトル:『ボヘミアン・ラプソディ』
出演:ラミ・マレック/ジョセフ・マッゼロ/ベン・ハーディ/グウィリム・リー/ルーシー・ボイントン/マイク・マイヤーズ/アレン・リーチ
監督:ブライアン・シンガー
製作:グレアム・キング/ジム・ビーチ
音楽総指揮:ブライアン・メイ(クイーン/ギター)/ロジャー・テイラー(クイーン/ドラマー)
原題:Bohemian Rhapsody
全米公開:11月2日
配給:20世紀フォックス映画

公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/bohemianrhapsody/
コピーライト:(c) 2018 Twentieth Century Fox

2018年11月9日(金) 全国ロードショー


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