「嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録」6月出版決定

嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録

九州・大分県の映画館の一つもない辺鄙な片田舎から、伝手もコネもなく単身ローマの映画学校へ渡り、学生運動、ウーマンリブなど激動のヨーロッパで未婚の母として子育てしながら、アカデミー賞受賞作を含む数々の名作・話題作を手掛け、今なお国際的に活躍する日本人女性プロデューサーのパイオニア、吉崎道代の自伝「嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録」が6月下旬にキネマ旬報社より出版されることが決定した。

貪欲でエネルギッシュ、76歳のいまも現役で世界を飛び回り大作映画を製作中の吉崎による、レオナルド・ディカプリオクリント・イーストウッドロバート・デニーロアラン・ドロン大島渚、カズオ・イシグロアンソニー・ホプキンスエマ・トンプソンなどセレブリティとのスリリングな秘話をはじめ、貴重な写真も収録。落第生で、後ろ盾もない日本女性プロデューサー誕生の秘密とは?映画業界を目指す若い世代必読の書となっている。
フェデリコ・フェリーニ監督カズオイシグロなどとの貴重な写真ほか、朋友戸田奈津子氏、2歳から世界の映画祭に“参加”し、ビジネスパートナーでもある息子アド氏からのコメントも到着。

また、本書に共感した女性読者より「“感動した” ”涙をこぼしながら読んだ“ ”シングルマザーで映画界に生きる夢を求めて生きる生き方に共鳴しました”」、フイルムメーカーを志す女性からは「プロデューサーの章は、ミチヨさんの生き方は参考になるだけではなくこれから何かをやろうとしている人達には心にグサッと突き刺します」とのメッセージが寄せられたほか、ブラジルの映画監督、ロサンヌより「映画の中で起こる奇跡が現実に起こったような人生です。この“最後に”の章は、いろいろな障害をスタミナと揺るぎない決意で乗り越えて行き夢を現実のものとする、印象に残る感動的な映画のシノプシスを読んだようです」との絶賛コメントも到着した。

「フェデリコ・フェリーニ監督とサーカスにて、1970年代後半」
「ソフィア・ローレンへインタビュー1972-1973年ころ」

コメント

吉崎道代
私はヨーロッパ(イタリア、英国)に住んで40数年が経つ。その間、映画プロデューサーとして私の会社で共同製作した映画が米アカデミー賞(オスカー)にノミネートされること15回、うち4回は受賞した。日本の映画人としては最多受賞であろう。これは日本の映画人としては画期的なことと言われている。英国で最も権威のあるガーディアン紙にも「我が国の映画界の救世主はイギリス人ではなく、日本から来たひとりの女性」と紹介されたこともある。また映画の業界紙スクリーンエンターテインメントが毎年選ぶ世界のパワープレイヤー100人に数回にわたって選ばれてもいる。
しかし私の映画人生の出発点は、田舎娘の落ちこぼれであか抜けない容姿にコンプレックスを抱いた女子高生が、大学も全部落ちて日本には活路を見いだせず、一念発起し単身海を渡り男性社会である映画界の門戸を叩いたことから始まる。まさに世間知らずの暴挙である。しかし、そこからひとつひとつ階段を上っていった。著名な映画人や世界のセレブたちとの交友の貴重な体験や、彼らが作ってきた映画、そして彼らの生き方から得たものが、私の映画製作のテクストブックとなったのだ。ディストリビューターとして買い付けた映画作品、そしてプロデューサーとして製作した映画の秘話に愛とセックス、結婚、子育てといった私生活も含めた私の映画人生を語っていきたい。
女性は誕生から社会の外様、アウトサイダーである。男性のように名誉や誇り等という厄介なものから解放されている。失敗しても失うものがない強みが〝飛ぶのが怖くない〟と、闘う強さとなっていったのだろう。

戸田奈津子(映画字幕翻訳者)
「映画愛と不屈のバイタリティで、日本人として国際映画界で前人未到の道を切り開いた吉崎道代さん。日本を飛び出し、映画の道で成功したいと願っている若い人たちの必読の書です。」

吉崎アド(映画プロデューサー)
「母のこのメモワールは生涯に亘ってのシネマとの情熱的な恋物語です。ハリウッドから遠く離れた日本の田舎から輝かしいキャリアを築いた数少ない映画人が母です。
母は僕を親戚もいない英国で働きながら女手一つで育ててくれました。当時独立して働く女性の少なかった時代です。それも彼女の生涯の夢を最もタフで世界一競争の激しい映画界で実現したのです。
映画界は浮き沈みの激しい、そして鉄の意志がない限りサバイバルは出来ない。僕が母から習った教訓は独立性に情熱そして確固とした決意の重要性です。
母ほど困難な状況の中でも決して負けずに確固とした意志力でやり遂げる人は僕の知る限り誰もいません。僕は母の歩いてきた道を継ぎ僕自身のキャリアをこの素晴らしい映画界で母から習った教訓をもとに歩んでいます。」

「カズオイシグロと企画打合せ、2016年」
「ジェレミー・アイアンズ、ウエイン・ワン監督と、「チャイニーズ・ボックス」釜山映画祭にて1997年」

著者 吉崎道代 プロフィール

大分県出身。高校卒業後、イタリア・ローマに留学し映画学校で学ぶ。
1975年、日本ヘラルド映画社に入社。ディストリビューターとして欧州映画日本配給権の買い付けに携わる。『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988、ジュゼッペ・トルナトーレ監督)の日本配給権取得により日本でベストディストリビューター賞を受賞。配給買い付け業の傍ら、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)の全契約を取りまとめる1992年、映画製作会社NDFジャパン設立。
製作投資に共同製作をした代表作として『裸のランチ』(1991年、デヴィッド・クローネンバーグ監督、Genie 最優秀映画賞他)、『ハワーズ・エンド』(1992年、ジェームズ・アイヴォリー監督、アカデミー賞9部にノミネート、主演女優・脚色・美術賞受賞)、『クライング・ゲーム』(1992年、ニール・ジョーダン監督、アカデミー賞6部門ノミネート、脚本賞受賞)、『スモーク』(1995年、ウェイン・ワン監督、ベルリン国際映画祭銀熊賞受賞)などがある。
1995年 NDFインターナショナルを英国で設立。
『カーマ・スートラ/愛の教科書』(1996年、ミーラー・ナーイル監督)『バスキア』(1996年、ジュリアン・シュナーベル監督 『チャイニーズ・ボックス』(1997年、ウェイン・ワン監督 )『オスカー・ワイルド』(1997年、ブライアン・ギルバート監督)、『タイタス』(1999年、ジュリー・テイモア監督)等の世界的なヒット作を製作。
1994-2000年の間数回にわたってエンターテインメント/映画界における「世界重要人物トップ100」に選ばれる。現在も彼女の持つ幅広いコネクションを駆使し多国籍映画を創り続けている。

「嵐を呼ぶ女 アカデミー賞を獲った日本人女性映画プロデューサー、愛と闘いの記録」
著者:吉崎道代 編集:山田克己(igi) プロデューサー:坂上直行
発行:キネマ旬報社 発売日:6月下旬(予定) 価格:2000円(税別)

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