
2024年1月29日、人道支援組織・パレスチナ赤新月社のボランティアチームが緊急通報を受ける。それは、ガザ地区で銃撃下の車内に閉じ込められた6歳の少女ヒンド・ラジャブからだった。赤新月社のボランティアチームはヒンドとの電話をつないだまま、救出するためにあらゆる手段を尽くす――
監督・脚本を務めるのは、『皮膚を売った男』(20)、『Four Daughters フォー・ドーターズ』(23)のカウテール・ベン・ハニア。当時ニュースやSNSで世界中に拡散されていた“ヒンドの声”を聞いたことをきっかけに映画化を決意。パレスチナ赤新月社やヒンドの母親との連絡を取り、徹底したリサーチを重ねた上で、赤新月社に保管されていたヒンド・ラジャブの音声記録や現地の映像を使用し、パレスチナ人俳優を起用して撮影を敢行した。
インタビュー動画でイニャリトゥは「この強烈な作品についてどう語ればいいのか。君は何かを成し遂げた」と、言葉に迷いながらもベン・ハニア監督を称える言葉から紡ぎ始める。
「この作品は問いそのものだ。映画という枠を超えてる。物語を構成し一つの真実を描き出している。私たちの理解を超えた現実へとアクセスするための作品になってる。到底、想像もできない巨大な現実だ」と語る。その理由を「到底、想像もできない巨大な現実だ。その場に身を置かない限りそこで起きていることはこの先も知り得ない。そのような複雑な状況を、物語として見事に昇華させたからこそ心に深く残るんだ」と語り続ける。
さらに映画のタイトルについても言及。「ヒンドという少女の、声に焦点を当ててるからだ。映画やフィクションの世界において、声というのはただ単に言葉を意味するだけではない」などという持論に続けて、“ウソはつけない”という声の力について、イニャリトゥは本作が描くガザの痛みを伴う真実にも繋がっていくエピソードを語っている。
また、映画監督の山田洋次、社会学者の上野千鶴子、フリーアナウンサーの長野智子、俳優・モデル・映画監督の岡本多緒、さらに、本作を上映する各地の映画館や、ライターといった総勢26名から応援コメントが到着した。

コメント(順不同・敬称略)
凄い映画。今まで見たこともないような斬新なこの映画のスタイルは、戦争に対する激しい怒りから生まれたのだろうか。
――山田洋次(映画監督)
実録をもとにした再現映像の迫力。
「助けて」と叫びつづけるこの女の子の声に、私たちは耳をふさぐことができるのか?
――上野千鶴子(社会学者)
戦争の愚かさと残虐をこれほどまでに描いた作品があっただろうか。
ヒンドの絶望に胸が張り裂けそうになる。そしてその声は、私たちすべてに向けられている。
――長野智子(フリーアナウンサー)
SNSを通して流れてくる悲惨な映像に、遠い国から無力感や罪悪感を抱いていた。けれど、実際にこんなにも近くで、その何十倍、何百倍もの現実を目の当たりにしながら、日々、希望と絶望との間で闘い続けている人々がいるのだと、改めて気付かされた。
世界はこの異常な事態をこれ以上容認してはいけない。
いまこそ映画の力を信じたい。
――岡本多緒(俳優・モデル・映画監督)
私たちが日頃の報道では知ることのできない、
でも寧ろ知らなければならない、6歳の少女の声。
スクリーンには本物のヒンドの声と、緊急通報を受けたボランティアスタッフたちの奮闘する姿。
これ程までに彼らと一緒に暗中模索するような感覚に没入してしまうのは、この作品以外に私は知り得ません。
――西島新(新宿武蔵野館 番組編成担当)
フィクションと思いたいが、終始現実に起こったことであることを観客に突き付けてくる。
彼女の“声”に今応えるとしたら、一人でも多くの人に本作を観てもらうことだろう。
――冨田泰弘(Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下)
助けを求める6歳の少女の声に、救急車は少女から8分程度のところに。
なぜすぐに向かえないのか?なぜ少女は独りなの?疑問はこの衝撃の現場に立ち会う
ことで見えてくる。
――中島ひろみ(シアターキノ支配人)
このような子どもたちの悲痛の叫びが今も亡くなられたガザの子どもたちそれぞれに存在しているということ。
ただ傍観することを余儀なくされる状況がよく描かれていて苦しかったです。
――間島わかな(千葉劇場)
これは終わった悲劇ではなく、今なお続く惨状だ。
救いある結末は、現在に生きる我々に委ねられている。
観客ではなく当事者として、目を、耳を、口を閉ざしてはならない。
――かわざかな(伏見ミリオン座 劇場スタッフ)
ヒンドの声に、いまの世の中がどれだけ狂っているのかを痛感させられた。
戦争を止められない我々は愚かで哀しい存在だ。
それでもまだ、世界は変えられると信じたい。
――飯島千鶴(川越スカラ座番組編成担当)
「助けてー」と叫べば、日本では大抵救いの手がくる。
それでもだめなら「火事だー」って叫べばとりあえずなんとかなる。
でもこの映画では助けるのに許可がいる。なぜ?!
――谷田恵一(シネマディクト館主)
幾度も訪れる絶望と希望に心が壊れる。
実際の音声・映像を巧みに用いたことで、手も足も出ない戦場の虚しさは増幅し、ノンフィクション以上の圧に絶句する。
――よしひろまさみち(映画ライター)
映画は何のためにあるのか。
その答えのひとつが、ここにある。
消されかけた小さな声を世界に響かせ、
私たちに目を背けることを許さない。
この映画が存在すること自体が、
忘却への抵抗なのだ。
――今祥枝(ライター/編集者)
映画は、取り返しのつかない現実の悲劇を、ただ再現することしか出来ない。
だが、この映画は違う。
全ての人が観るべき、鎮魂と告発と連帯のための映画だ。
――佐々木敦(批評家)
幼い子が絞りだした「助けて」の前に、この世界の一員として引きずりだされる。
無力感に頭をおさえつけられ、地面の砂がひたいにめり込む。
ニュースで事実の経緯を知ったところで、もはやすっかり鈍感になっている。
世界を覆うシステムの理解を気取って、追認に逃げ込むばかりだ。
重い無力感に差し出した頭を潰され、早く楽になってしまおうとする私たちにこそ、この映画は必要だ。
――町山広美(放送作家)
いま、そこで必死に生きている少女の声が、たしかに聞こえているのに何もできない。
その尊い声が、いつ途絶えてしまうかもわからないのに、助けられない。
映画のなかで少女から電話を受けた彼らの焦燥、もどかしさ、絶望、切迫感は、ここにいる私たちのものでもある。
――児玉美月(映画批評家)
小さな声が、声の波が、かき消されていくこの時代。
胸の苦しさを通り越して無力な自分に怒りすら沸いた。
映画を観終わっておしまいには決してしたくない。気付きや行動のきっかけにしなければと切に思う。
――牛津厚信(映画ライター)
限定されたオフィス空間、時間に追われる救出作戦、通信が途切れる恐怖。
これら完璧に揃ったスリラーというフィクションの装置を、少女の肉声を伴う苛烈な現実がのみ込み、私たち観客の倫理観をも揺さぶってくる。類いまれな映画体験だ。
――高橋諭治(映画ライター)
映画は映像によって視覚的に何かを直接表現できる芸術だが、今作は電話の向こう側をあえて映さず、聴覚的な表現だけで私たちに想像を強いる。
呼び覚すのは希望と絶望、そして反戦の意だ。
――松崎健夫(映画評論家)
この少女の「声」を、今を生きるすべての人が聴くべきだ。
戦争の不条理に成す術もない無力さに全身で慟哭しつつ、
彼女の遺した声が世界を変えると、かすかな希望を信じたい。
問答無用の傑作。
――斉藤博昭(映画ライター)
6歳の少女たちには本来、穏やかに過ごす日常や、思い描く未来が存在するはずなのに、ヒンド・ラジャブにはもうない。なぜこんなことが?
この映画は嘆き、怒り、叫びつづける。
――門間雄介(ライター/編集者)
フィクションとドキュメンタリーの双方で現代世界の重要局面を鮮やかに切り取り、見事な結果を残してきたカウテール・ベン・ハニア監督だからこそ成し得た本作のリアリズムは、異次元のレベルに達している。
現実の音声を基に再構築されたドラマの迫真性と重要性は比類が無く、現在を生きるすべての人間にとって必見だと叫びたい。
――矢田部吉彦(前東京国際映画祭ディレクター)
本物の叫びが映画に刻まれている。
戦争に向かおうとする者すべてに、ヒンドの声を聴いてほしい。
海が好きな少女から、その光や、波や、潮風を奪う前に、無益な争いを止めてほしい。
――小川紗良(文筆家・映像作家・俳優)
これはフィクションの救出劇ではない。
助けを求める少女の悲痛な肉声は現実、それは日本に住む我々にも向けられている。
この結末を変えたい。そう願ったなら起こすべき行動がある。
――奥浜レイラ(映画・音楽パーソナリティ)
子どもの未来を願う親として、この映画を忘れることはできない。
映画に戦争を終わらせる力はない。
それでも、人の記憶をつなぐ力が映画にはある。
本作は、その記憶を未来へつなぐ責任を、静かに私たちへ託してくれる。
――東紗友美(映画ソムリエ)
心をえぐられ、耐えきれず、涙を流しながら見届けた。
自分の娘と同い年の少女が、必死に救けを求めている。
だが大人たちは動けない。戦争は今も続けているのに。
――SYO(物書き)