第98回アカデミー賞(R)国際長編映画部門イラク代表の映画『大統領のケーキ』より、冒頭シーンの本編映像が公開。併せて、著名人からのコメントも到着した。

本作は、第78回カンヌ国際映画祭で、イラク映画として初めて監督週間観客賞とカメラ・ドール(新人監督賞)をW受賞、その他にも第33回ハンプトン国際映画祭 最優秀映画賞、審査員賞を受賞、第31回アテネ国際映画祭観客賞受賞、第73回サン・セバスティアン国際映画祭 観客賞ノミネートなど、世界の映画祭が絶賛。さらに映画批評サイト「ロッテントマト」にて批評家99%、オーディエンス91%(2026.5.29時点)の高評価を得ている注目作だ。
物語の舞台は、1990年代、独裁政権下のイラク。祖母と二人で暮らす9歳の少女ラミアは、ある日、学校のくじ引きで「大統領のケーキ係」に選ばれてしまう。翌朝、ラミアは祖母に連れられて、父の形見の時計と、“友達”の雄鶏ヒンディとともに町へ出かける。だが、日々の食卓も満足に揃えられない祖母の目的はケーキではなく、ラミアを養子に出すことだった。思わず逃げ出したラミアは、自らの手でケーキの材料を集めれば、祖母との暮らしを続けられると信じて、クラスメイトのサイードと協力して町を駆け回る。
この度公開されたのは、本作の冒頭シーン。薄暗く静まり返った水面に響くのは、ただ静かに響く水音だけ。そんな静寂の中を、主人公の少女ラミアと祖母を乗せた一艘の小舟が、ゆっくりと川を進んでいく。祖母の口から語られるのは、人類最古の文学とされる「ギルガメシュ叙事詩」の一節だ。
「神はギルガメシュに言った。“水の中を見よ”“そこに愛の顔を見るだろう”」この神秘的でどこか予言めいた言葉に対し、幼いラミアは「どこの水?」と無邪気な疑問を投げかける。その後、視線の先に対岸に火事が起きているのが見えてくる。この「薄暗い水面」と「対岸の火事」が織りなす光と影の鮮烈なコントラストが印象的な映像となっている。
本作の舞台となる湿地帯には、そこに生きる人々の生活や文明の基盤を古くから支えてきた植物「葦(あし)」が自生している。本作のアラビア語の直訳タイトルが『葦の王国』であることからも分かるように、この植物は作品において極めて重要な意味を持っている。葦の「脆さ」と「不安定さ」を、当時のサダム・フセイン独裁政権下で過酷な運命に翻弄されていたイラクの不穏な情勢へと重ね合わせているのだ。つまり、過酷な政治体制の中で明日の命さえ保障されない人々の営みや、いつ崩壊してもおかしくない国家の危うさを表現した、極めて重厚なメタファー(隠喩)となっている。
本作の撮影を手掛けたのは、今年の第79回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した『Fjord(原題)』の撮影監督としても注目を集める、ルーマニア出身のトゥードル・ヴラディミール・パンドゥル。彼が生み出す印象的なシーケンスは、映画が始まってわずか数分間のうちに、その圧倒的なスケールと至高の映像美で観る者を魅了する。同時に、一見すると美しい自然の風景の裏に、政治的なメッセージや人間の普遍的な営みを巧みに潜ませることで、これから始まる壮大なドラマへの期待を最高潮に高めてくれる。
ユネスコ世界遺産にも登録されている幻想的なメソポタミア湿地帯のほか、撮影は実際にイラク国内で行われ、他にも活気あふれるバグダッドの市場など、日本ではなかなか目にすることのできない風景も大きな見どころとなっている。

この場所を舞台にした、ユーモアあふれるルポルタージュ「イラク水滸伝」の著者であるノンフィクション作家の高野秀行や、イラクがルーツのひとつである元TBSアナウンサーの国山ハセン、自然体な子どもを映し出すことで定評のある映画監督の呉美保など、本作をいち早く鑑賞した、総勢11名の著名人の方々よりコメントも到着した。
推奨コメント(五十音順)
ISO(ライター)
キアロスタミのような少女の視点から、パナヒのように社会の不条理を炙り出す。圧政と米国の暴力、その双方に苦しむイラクの市井の人々の姿が、今のイランとも重なる類稀なる傑作。ラストの衝撃たるや!
伊藤さとり(映画評論家)
ただただ、素晴らしい。
少女の小さな世界の大冒険は、死と向き合いながら生きる希望を見失わないように涙をこらえて走り続ける。大人が壊していく世界の中で、悲鳴をあげないように必死に目を凝らして強さを試す。そんな姿を見て、うっかり涙をこぼしてしまった。
呉美保(映画監督)
独裁者に怯える社会が生み出した理不尽な押し付けに、小さな少女と少年が必死に応えようとする姿を、呆然と見つめ続けました。胸が締めつけられるような場面の連続なのに、その健気さと眼差しがあまりにも愛おしく、どうか生き延びてほしいと願いながら。戦争や暴力がいまなお無くならない時代に、この物語が突きつける厳しい現実と、かすかに灯る希望が、1人でも多くの方に届いてほしいです。
荻上チキ(評論家・ラジオパーソナリティ)
少女の故郷は、理不尽が充満する街だった。
振り回されての大冒険。
数々の遭遇が、「この頃の光景」を浮き彫りにする。
今日マチ子(漫画家)
ケーキのために、こんなにも走る子どもがいるだろうか。
戦時下の不条理に抗う小さな心が、生き延びるために駆け抜ける。
その姿が私たちのまぶたの裏に焼き付く。
国山ハセン(元TBSアナウンサー)
ジャーナリズム×エンターテイメントの最高傑作!
当時のイラクの姿をリアルに、見事に描いている。イラクは私のルーツの一つです。
同世代の人達がどれほど戦争に振り回されたのだろうか。
最後のシーンは「まばたき」をせず、観てほしい。
こうの史代(漫画家)
これでもラミアはまだ幸運な方だと思わねばならないんだろうか。
まばたきもせず世界を見据えるその瞳には、どの登場人物になってどんなやり方をすれば安らぎを灯せるのかを、わたしは一生問われ続ける気がする。
小島秀夫(ゲームクリエイター)
子供の頃にイタリア映画「自転車泥棒(1948)」を観た時の衝撃を思い出す。独裁者の誕生日を祝うまでの2日間。少女を追い込む時代、社会、貧困、政治、盲目状態の大人たち。無謀な“ケーキ創り”に奔走し、追い込まれる少女の無垢な姿に、胸が潰されてそうになる。「そんな事はしなくてもいいんだよ」。何度、スクリーンの彼女に向かって叫んだろうか。ラストには、さらなる痛みを伴う“苦いデザート”が待ち受けている。抑圧された世界で何が起こるか、“瞬き”せずに味わうべし。
高野秀行(ノンフィクション作家)
映像が素晴らしい。
今ではかなり失われてしまったイラクの巨大湿地帯アフワールの水上生活が描かれていることに感激した。
町の風景もリアルだ。
西川美和(映画監督)
子どもたちは自分たちが巻き込まれている理不尽を理不尽と思うこともなく、暮らしも、思い出も、モラルも投げ捨てて、誰の幸福にもつながらないケーキの材料を求めていく。戦争や独裁は、多くの大人たちを愚かにし、子どもたちを取り返しのつかない破滅に向かわせることを、地べたに近い視点でよく見つめ直す機会になった。
安田菜津紀(メディアNPO Dialogue for People副代表/フォトジャーナリスト)
独裁と腐敗、戦争と制裁、性差別と搾取、その不条理を一身に背負うラミア。
彼女は時折クラスメイトのサイードと、「先にまばたきをした方が負け」とゲームする。
そのまっすぐな眼差しは、「目をそらすな」と私たちに語りかけているようだ。



