スイーツ・グルメお取り寄せガイド “お取り寄せ”れぽーと
2013年4月 8日(月) | アメリカ生活 | 猫な話

華の優しさにふれて

昨日は華道の和子先生の四十九日の集まりがあった。ほんまは先週やったけど、諸事情で昨日、弟子たちが集まる事になったのだった。日本のようにお寺さんを呼ぶような環境でもなかったので、集まってお線香をあげて、お茶をしながら先生の話をしただけやけど、仲間内で静かに先生の生涯を讃える事ができてよかった。先生の遺灰にお会いできた事で、先生の優しさにふれられたような気がした。

Picture1.png

 

昨年末、肺炎で体調を崩され、今年2月、ちょうど90歳のお誕生日を迎えた翌日に逝ってしまわれた。

年齢からすれば、それも自然な事なんやけど、後に残された私達は、これからどうやって「いけばな」を続けていけばいいのか今も模索中。

先生は華道のみならず、戦後アメリカに渡ってきたという歴史の生き証人であり、私のような日本から来た者にとっては人生の大先輩。

マッカーサー元帥を遠目に見たことがあるという話、戦後の激動の中、ワシントンハイツ(在日米軍施設)で「生け花インターナショナル(名誉総裁:高円宮妃久子殿下)」が立ち上がった話など、貴重な体験談をうかがった。

写真は生け花インターナショナル2012年の先生の作品。

シカゴで支部を作り、人数は20人ぐらいしかいないけど、これを維持してこられた功績は大きい。

→ワシントンハイツ Wikipedia

→いけばなInternational

先生はシカゴ大学やロヨラ大学の医療研究室でお仕事をされていた。あの時代、女性が働くというのも今ほど簡単ではなく、しかもアメリカでというのは言語や文化的な事も含めてどんなに困難だったやろう?

シカゴ大学にある「原爆の碑」(長崎の原爆が作られた研究室の跡地につくられたヘンリームーアの野外彫刻)の前を毎日通りながら研究室に向かわれたとのこと。その時の心境は「複雑」なんていう言葉で表現できるようなものではなかったと思う。

→ シカゴ原爆の碑について(過去シカゴつぶやきブログ記事)

先生は本当に多才な方で、90歳にしてメールを使いこなし、Facebookのアカウントも持っておられた。お稽古に行くとPCで作成したノートを下さる。手書きの素敵なイラストが入っていて、枝を傾ける角度などが示されている。日本人が「だいたいこんな感じ」とかいうのを言っても西洋人には伝わらないので、45度とか75度とかいつも具体的な数字を言わないと駄目と言っておられた。

先生とお会いして1年ぐらいしかお稽古に行けなかった私やけど、本当に楽しく生け花も歴史も人生も教えて頂いた。不謹慎やけど、お花のお稽古よりもお稽古の後、みんなでお茶をしながら色々な話をうかがうのが楽しみやった。 

先生は「韓ドラ」がお好きでヨン様のファン、というか「イケメン」がお好きやったので竹之内豊とか阿部寛もお好きやった。とにかくお家におじゃましても、お話が楽しすぎて帰る時間を忘れてしまうほどやった。10年ぐらい前にお知り合いになれてたらよかったのに~と思う。

きっとこういうのも「ご縁」なんやろうなあって思う。短かったけど、心の大きな、そして花のように華やかで優しかった先生に教わった色々な事を、これからも胸に刻んで行こうと思う。

  001A.JPG

ところで、パトちゃんは、ターディにゃんにイタズラされて困るとか言いながら、めっちゃ嬉しそう(笑)

昨日もなんか調べたい事があったらしく地図を広げた瞬間にターディにゃんに奪いとられとった。

紙のパサパサ感が非常にお気に召したらしく、ぜんぜん動こうとせんかった。

「見て見て~ 困るわあ!邪魔ばっかりや(関西弁風和訳)」と、言いつつカメラでパシャパシャ撮りまくるパトちゃんであった(笑)

PAGE TOP