母の命日

今日は母の命日。

胸の奥にしまっていた記憶にピントを合わせると、色々な景色が見えてくるが、 今日は何故だか、ちょっと恥ずかしいエピソードを一番に思い出した。

かれこれ十数年ほど昔の話。

入院している母から突然電話が入った。

「ねぇ、ユキ。お祖母ちゃんが迷ってるみたい。ちょっとお父さんに、お祖母ちゃんのこと聞いてくれない?」

「わかった。すぐに連絡してみるわ」

母と離婚して、しばらく連絡をとっていなかった父に電話すると…。

「もしもし、あのさぁ、オカンがばぁちゃんが迷ってるいうんやけど、ばぁちゃんのお骨どうなった?」

「え?あぁ、下駄箱の中にあるけど?」

「はぁ?!なにそれ?アカンやん。そりゃ、迷うやろ!すぐにお骨納めにお寺行かなあかんわ!うちが行くから、お骨持ってきて!!」

それから父と一緒に、お寺に行ったのだが… 「亡くなった日をこちらに書いてください」と受付で言われ、数年前の日付を書くのが恥ずかしすぎて逃げ出したくなった。

下駄箱の中にお骨。しかも数年。何度考えても罰当たりすぎて、開いた口がふさがらない

帰って母に報告した。

「なぁ、ちょっと聞いてや。のぼる(←父)の奴、ばぁちゃんのお骨、下駄箱に数年放置してたんやで。ほんま、ビックリしたわ!」

「…」

「オカンが連絡くれへんかったら、ずっとこのままやったで。とりあえず、ばぁちゃんの希望してた寺に納めたから安心して」

「よかった。ありがとう」

生前から息子に言っても仕方がないと、孫の私や母に用をたのむ祖母だったから、母のところに助けを求めたに違いないと思った不思議で恥ずかしいエピソード。

母のお骨は迷った末、父と父方の祖父母と一緒のお寺に納骨した。あっちの世界で、この時のエピソードはどんなふうに語られているのだろうか

  「お母ちゃん、安らかに」

九州にいる私は今日はお寺には行かないけれど、空はつながっているから祈りは届くと信じている。